新たなコミュニティの発見とともに、発信されるクリエイティブにも注目が集まっているオンラインサロン。

その中でも元・任天堂デザイナー前田高志さんが率いるクリエイティブ集団「前田デザイン室」は雑誌『マエボン』を制作するなど、積極的な活動を続けています。

今回は室長の前田高志さんに、コミュニティとクリエイティブの関係についてお伺い致しました。

前田高志(まえだたかし)
オンラインサロン「前田デザイン室」室長。
大阪芸術大学デザイン学科卒業後、任天堂(株)企画部にて約15年間、宣伝広告デザインに従事。
2016年より屋号(ナス)でフリーランスとしてキャリアを築く。
2018年にクリエイターのためのオンラインサロン「前田デザイン室」を開設、株式会社NASUを設立

コミュニティとクリエイティブの関係

――任天堂・NASU・前田デザイン室のクリエイティブに違いはありますか?

変わったのはフィールドだけですね。「受け身でクリエイティブをしない」という根底の部分は変わってないです。

僕、どうせやるなら、クリエイティブの効果や価値を最大化したいと常に考えているんですよ。

任天堂時代は総合カタログや、大学に貼られる新卒採用募集ポスターなど「こんなのが欲しかったんです!」って言われるクリエイティブを積極的に提案していました。 NASUと前田デザイン室ではそれがより振り切れているだけですね。

あとは、商品が「ゲーム」から「デザイン」に変わったことですね。任天堂時代はあくまで「ゲームの魅力」を伝えるということに忠実でしたから。

任天堂時代の挫折、スピードを求めて

――任天堂時代のお仕事について聞かせてください

宣伝広告、イベントグッズ、カタログ・ポスター、学生に配布する会社案内の企画制作をしていました。
ゲームデザインの開発ではなく、グラフィックデザインをしているクリエイター、社内では「アートワークデザイナー」と呼ばれていました。

今はトークショー等でも任天堂時代について話していますが、実は僕、入社当初に挫折したんですよ。自分が納得できるデザインができなくて。

――具体的なエピソードをお聞きしてもいいですか?

納得するために必要な「スピード」が足りなかったんですよ自分も、社内の人にも。

僕の体感ですが、任天堂は「総クリエイター」の組織で、こだわりが強い人が多い。
企画だけではなく、制作フェーズの話も理解してくれる場所でした。
ただ当然、デザイン完成までに確認が何度か入るんです。上司からフィードバックをもらって、それを反映して他部署のチェックを受けて…とやっていたら、入稿ギリギリ。なので、自分がつくったはずのデザインに納得しないまま完成になってしまうことが多かったんです。

―完成スピードを上げるために具体的にどのようなことをされたのですか?

当たり前ですが、社内の皆が頷くような企画・デザインをつくれたら、完成スピードは早くなるんですよ。デザインに理解のある人が多かったので、良いデザインをつくればすぐに決まりますから。

――「良いデザイン」をつくるために、どのようなことをされていましたか?

20代は「京都広告塾」や「TDC」など、様々なデザイン関連のセミナーに出席してました。あと、国内外問わず、デザイン関連の雑誌や本を読み漁ったり。

その中でも大貫卓也さんの『大貫卓也の全仕事』はおすすめの本ですね。

論理的に考えることへの苦手意識に気付いたときから、ひたすら国内外のデザインをインプットして、感覚を研ぎ澄まそう、と考えたんです。 僕の会社員時代の上司(師匠)も「デザインは難しいものじゃない。良いか悪いか。それだけ。」と考えている方でした。

複数コミュニティで成長し続ける

――独立されてからの活動についてお聞かせください

1年目は株式会社NASUとして、企業やフリーランスの方に対するロゴ制作が中心でした。

SEO専門家・ブログマーケッターJUNICHI氏が代表取締役を務める株式会社ファンファーレのロゴなど

二年目はロゴだけではなくて、プロフィール写真を撮り始めたんですよ。理想は、僕がデザインしたロゴを旗印として、企業や自分のクリエイティブをブランディングしていってもらうことだったのですが、フリーランスの方にロゴだけ渡しても、ブランドイメージがすぐに変わらないことに気が付いて。「箕輪編集室」に入ったのもこの頃ですね。

そして三年目、今ですね。株式会社NASUの代表として、企業のロゴやグッズ制作をしながら、「前田デザイン室」を立ち上げてオンラインサロンでも活動をしています。

クリエイターコミュニティとしてのオンラインサロン

――前田デザイン室をつくられたきかっけは?

現在150名のサロンメンバーが加入している。デザイナー20名の募集枠もすぐに埋まってしまった

クリエイターって、仕事をしながら次々にアイディアが生まれてくるものなんです。
でも、創作意欲が湧くアイデアが思いついたとしても休みの日を使って、なかなか形にする時間と労力をさけることができなくて自己嫌悪に陥ってしまう。
そうして、自分のクリエイティビティを最大化させられない、という「クリエイターストレス」が溜まっていくのを感じていました。
なので、これを抱えるクリエイターのためのコミュニティとして前田デザイン室をつくりました。

――オンラインサロンを運営するにあたって影響を受けたクリエイターはいらっしゃいますか?

ガッツリ影響を受けたのは箕輪編集室の箕輪厚介(幻冬舎)さんですね。
デザインはオンラインサロンのコミュニティ内部で行っていて。その他も色々なクリエイターのプロジェクトが立ち上がっていました。

例えば、あるカメラマンの子はクラウドファウンディングで資金調達して、『箕輪大陸』というドキュメンタリー映画を制作して公開しました。
それを見て、「あ、これだ!」と思ったんです。

――「クリエイターストレスの発散」に繋がるものがあったのでしょうか?

僕が知っているオンラインサロンはいわゆる先生と生徒がいる「教育型」で、学校のようなものでした。でも、箕輪編集室は違ったんです。

個人の提案からクリエイティブのプロジェクトが次々立ち上がる。つまり、個人のクリエイティビティを最大化できる場所でした。

これは僕が考えていた「クリエイターストレスの発散」に繋がると思ったんです。

あと、コルクの佐渡島庸平さん。箕輪編集室とコラボ合宿があったんです。箕輪編集室のオンラインコミュニティ上にその動画があったので、前田デザイン室の立ち上げの参考にしましたね。

つまり、このお二人の考えや活動を自分なりにカスタマイズして「前田デザイン室」ができた感じですね。僕は彼らほど求心力がないし、一般人ですから。

例えば、前田デザイン室の活動には頻繁に参加するようにしています。お二人のようなインフルエンサ―でない分、僕が直接自分のクリエイティブや人間性を発信していかないと、メンバーを引っ張って行く魅力が伝わらないと考えているので。

――オンラインサロンの間でクリエイティブが生まれることもあるのでしょうか?

箕輪さんのプロジェクトまわりで前田デザイン室のクリエイターを提案しています。

今後はドラゴンクエストの「ルイーダの酒場」ならぬ、「マエーダの酒場」にして、仕事を相談されたら前田デザイン室のクリエイターをマッチングできたら面白いな、と思っています。

――社外コミュニティでもクリエイティブが生まれる可能性が広がりますね

僕は予算等の制約を突破していくような、企業というコミュニティの中で生まれるクリエイティブも面白いと思っています。

でも、今はデザイン業界の隆盛が落ち着いた感じがするので、前田デザイン室のようなオンラインサロンで、新しい切り口から盛り上げていきたいですね。
なので、このような取材を待っていたんですよ!(笑)

――嬉しいです!ちなみに「デザイン業界の落ち着き」はどのような点で感じられていますか?

2000年代は広告デザインの重要性が叫ばれて、デザイン雑誌も明らかに種類が多かったです。でも、今はかなり少なくなってしまった。おそらくデザインのクオリティの平均値がグッとあがったのだと思います。

例えば、僕は関西に住んでいるのですが、2000年代前半は中心部の心斎橋や梅田に行かないとセンスのいい服や雑貨は売っていなかった。でも、今は近くの大型ショッピングモールに行けば渋谷で売っている洋服や雑貨とクオリティは変わらないのではないか、と思うんですよ。

――デザインの水準が高くなっているのですね

現代はデザイナーに限らず、クオリティの高いものを発信できるクリエイターが沢山いますよね。なので、今後のクリエイターは「個人のクリエイティブを知ってもらっているか」「クリエイティブの裏側にストーリーが存在するか」、つまりクリエイター個人の発信力が仕事の幅に影響してくると考えています。

今、クリエイティブに必要なのはストーリー

――前田デザイン室で出版された『マエボン』にはどのようなストーリーがありますか?

「オンラインサロン・前田デザイン室が、雑誌制作未経験者9割で」「平成最後の夏を潰してでもつくった」というストーリーがありますね笑

――『マエボン』をつくったきっかけについて教えてください

9月末にあったCAMPFIREの「コミュニティフェスティバル2018」を箕輪さんのツイートで知ったことがきっかけですね。そこから、「失敗してもいいから、僕らのクリエイティブを発信しない?」とオンラインサロンのメンバーに提案したんです。

オンラインサロンの クリエイティブテーマ「童心」を表現したデザイン。

考え方次第ですが、一冊目失敗しても、二冊目で成功したら、一冊目がフリになっていてより感動するかな、って。失敗を恐れずに挑戦できることも、オンラインサロンにおけるクリエイティブの利点だと思っているので。

でも、結局はクオリティには満足できましたし、各所でイベントもできて良かったのですが…次が大変だなと思っています。(笑)

――前田デザイン室のクリエイティブ発信方法はご自身で考えられているのでしょうか?

そうですね。箕輪さんを参考にしています。例えば、現在編集している本の装丁案もSNSで出したりしています。全部さらけ出して、ストーリーにして、巻き込んでいく。完全にそこは好きで真似していますね。

クリエイターコミュニティで膨らんだ夢「漫画家」

――先日、漫画家を目指すと発言されていましたが、漫画家としてはどのような展望を?

今は「日常を切り取ったエピソード」を落とし込んだ漫画を「コルクBooks」にアップして、佐渡島さん含め、色々な方からアドバイスをもらっています。

あと、漫画を描くときの引き出しを増やすために今後は模写を極めたいですね。任天堂時代と同じくスピードが欲しいんです。

デザイナーから漫画家に転じた「まえだたかし」が記すnoteマガジン「情熱高志」

――なぜ最初に「日常を切り取った漫画を描こう」と思ったのですか?

これはNewspicksの編集ブートキャンプというワークショップに参加して、トイレで佐渡島さんにアドバイスされました(笑)

――え、トイレで!佐渡島さんに!

そうなんですよ!(笑) どんどんやる気になりましたね「描かなあかんな」と。

――佐渡島さんとお知り合いになったきっかけは?

ある日、ツイッターで連絡くれたんですよ。「今度大阪に行くときに良かったら会いませんか」って。

――突然ですか!?

当時、箕輪編集室の中のデザインチームのリーダーをしていた関係でNewsPicksと幻冬舎のコラボである『NewsPicks Book』1周年キャンペーンを担当したことが関係していますね。

「リーダーの教養」をコンセプトにしたNewsPicksアカデミアの書籍レーベル。明石ガクト氏『動画2.0 VISUAL STORYTELLING』などがある

オンラインサロンで仕事ができたことが当時、箕輪さんは衝撃的やったみたいで。佐渡島さんとタクシーに乗っているときにこの話しをしたみたいなんです。

そこで箕輪さんの僕に対する信用と信頼が佐渡島さんにおすそ分けされたんだと思うんです。その後にコルクとのコラボもしましたね。

――任天堂から独立された後、クリエイティブの変化が加速していますね

「今、自分がやりたいことを一刻も早く発信しよう」と思うようになったんですよ。その思いから行動したことで『マエボン』のクラウドファウンディングでは100万円以上の支援が集まったし、リターンで某企業の社長さんはロゴ制作の依頼までして下さいました。

任天堂から独立した後の箕輪編集室・前田デザイン室での活動、『マエボン』の出版から学んだことは「キャリアの中で磨いたクリエイティブを発信し続ければ、認めてくれる人が現れる」ということですね。

あと実は僕、遺伝的にいつ認知症になってもおかしくないんです。それをリアルに感じた経験から安定した人生を捨てて、本当にやりたかった漫画家に舵を切ることができました。

「もうすぐ人生終わる」と思ったらなんでもできますよ。若い人も同年代の人も、今を一生懸命に、そして遊び心をもって生きていきましょう。

撮影:TAKASHI KISHINAMI/企画・インタビュー・テキスト:大沢愛(CREATIVE VILLAGE編集部)

クリーク・アンド・リバー社の転職支援サービス

あなたのクリエイティブを最大限に活かせる、「新しいコミュニティ」をクリエイティブ業界に精通したエージェントと一緒に見つけてみませんか?サービスの詳細は以下よりご確認いただけます。
【無料】就業支援サービス