今年で放送20周年を迎えるドキュメンタリー番組「情熱大陸」。毎回各界の第一線で活躍する人物にスポットを当て、長きに渡り注目を集めています。現在チーフ・プロデューサーを務める毎日放送の越智暁さんは、これまでにも多くのドキュメンタリーや人気情報番組を手がけてきました。

越智さんが業界を志したキッカケから人気番組制作の裏側、ドキュメンタリーにかける思いなどを伺いました。

悔しくて誰よりも仕事に没頭した若手時代

今でこそ気軽に行けるようになりましたが、僕が幼い頃の“海外”というのはとても遠い存在で、海外を紹介する番組自体もほとんどありませんでした。そんな中、当時TBSで放送していた「兼高かおる世界の旅」は毎回様々な国を取り上げ、“僕もこういうところへ取材に行きたいな”とワクワクしてみていました。

あともう一つ、「野生の王国」という動物ドキュメンタリーも好きでよく見ていました。後々この番組は弊社が制作していたとわかるのですが、幼い頃のこういった憧れが、テレビ番組を作りたいと思った原点かもしれません。

それから具体的にテレビ業界を志そうと思ったのは、僕が大学1年生のとき。当時1980年代は東京で小劇場ブームがあり、野田秀樹さんや鴻上尚史さんが活躍しはじめた頃でした。そのときに鴻上さん主宰の第三舞台を見たら “総合芸術ってこういうことか!”と感動して。すぐに自分でも芝居をしたいと学生演劇の劇団に入り、もの作りにのめり込んでいきました。

テレビ局の就職試験はかなり無茶苦茶な倍率だったので、マスコミ全般を幅広く受けて。中でもやっぱり映像表現がしたかったことと、「兼高かおる世界の旅」が系列のTBSだったこと、「野生の王国」が弊社だったこともあり、縁を感じて毎日放送に入社しました。

入社して最初の5年間は営業で、そのあと制作に異動し、初めて配属されたのは旅ドキュメンタリーでした。元々ドキュメンタリーに興味があったということもあり、実際にやってみたらとてもおもしろくて。幸いなことに、精神的にも肉体的にもしんどいと思ったことはあまりなかったんですよ。

入社以来ずっと営業だったことで、制作への思いもかなり高まっていたので、番組に配属されてすぐに「僕にも早く撮らせてください!」と直談判して。で、デビュー作をプロデューサーに見せたら「ファーストカット以外見るとこなかった」と言われ、「何言うとんねんコイツ!」と無茶苦茶腹が立ちました(笑)。悔しくて悔しくて誰よりもロケハンに行ったり企画を練ったりして、いまにみておれ!と(笑)。このプロデューサーが後に「情熱大陸」を立ち上げるんですが、そのバトンを受け継ぐことになるとは不思議な縁です。

旅ドキュメンタリーの後に「ちちんぷいぷい」という生放送の帯番組の立ち上げに参加。そこで初めて情報番組に携わることになりました。

「知っとこ!世界の朝ごはん」が大人気コーナーに

この時の経験が「土曜日朝の新番組を企画しろ!」と任された時に、とても活きました。土曜朝の枠ってちょっと珍しくて、全局生放送で大阪局が制作しているんですね。放送時間も各局30分くらいのズレはあるもののほぼガチンコ勝負で、他局ではF3層に人気の司会者の方が台頭していました。そこに勝つためには違う層を狙おうと、20〜30代の女性をターゲットに設定。マーケティングの理論だと、20〜30代の女性は土曜の朝からテレビなんて見ないからそこを狙っても……と賛同してくれない人たちもいましたが、同じパイを取り合うよりも、誰も狙ってないパイを根こそぎ取りに行ったほうが勝ち目があると思ったんです。

そこで、当時東京に出てきてライジングスターになりそうだったオセロのお二人を司会に迎え、脇にはこれも当時おやじ系タレントの方がバラエティーで大活躍の時代だったので中尾彬さんと桂ざこばさんを据えて「知っとこ!」をスタートしました。

ちょうどオセロが30歳になった頃だったので、アラサーならファッションやグルメだけじゃなく、政治も経済もスポーツも…いまの世の中のこともっと「知っとこ!」という情報を集めて。“オセロでもわかるニュース”など切り口を優しくして伝える工夫はしましたね。

あともう一つ絶対やりたかったのが、世界を取り上げるコーナー。僕が昔見ていたような世界モノの番組がどんどん減っていたので、やっぱり夢のあるものがないと!と作ったのが「世界の朝ごはん」でした。毎週各都市を紹介しながら最後にそこに暮らす新婚さんの朝ごはんを紹介するというもので、旅行ガイドやインターネットではわからない、実際にその土地に行ってみないと決して知ることが出来ない情報にこだわりました。番組開始3ヶ月くらい経った頃からこのコーナーがすごく認知されるようになったんですが、この企画のヒットが12年続く長寿番組につながったと思います。

その他にも「知っとこ!」では生放送ならではのことをたくさんできたのが印象に残っています。バンクーバーオリンピックで浅田真央ちゃんがメダルを獲ったとき、真っ先に現地から中継で出演してもらったり、今では朝の情報番組でアーティストの方が生で歌うのは当たり前になりましたけど、そういうこともおそれず挑戦したり新しい試みは常に取り入れるようにしていました。

あと、オセロ初の冠番組だったのでオセロの会いたい人を呼ぼうということで希望を聞いたら、中島知子さんは佐藤浩市さん。これはどうにか実現できたんですけれども、松嶋尚美さんはジョニー・デップって言わはった(笑)。「えええ〜!?なにをどうすれば会えるねん!」と最初は困ったものの、映画のキャンペーンで来日すると。それでも単独インタビューの枠は中々取れないんですが、松嶋さんがジョニー・デップのファンを公言してたことと、番組で映画紹介コーナーがあったことで配給会社の方も協力してくださって、なんと会えました!それからはジョニーも松嶋さんのことを気に入って最後は指名されるまでになり、結局5回も単独インタビューしました。日本で一番ジョニーを取材したタレントとプロデューサーだと胸を張れます(笑)。

大阪発の全国ネット放送、しかも情報番組ということで、全国の人が共感できる番組作りというのには苦労しました。東京の人より大阪のおばちゃんにインタビューしたほうがおもしろくなるけど、あえて新橋で街頭インタビューをするとかですね。そうやって工夫しながらも、知っとこ!ならではのコーナーや空気感を長い時間かけて作り、続けられたからこそいろんなことにチャレンジできたし、恐れずトライしたからこそ続けられたと思います。

「知っとこ!」と並行して「サントリー1万人の第九」やTBSの「世界遺産」にも携わり、3年前からは東京制作室で「世界の日本人妻は見た!」という番組を担当していました。この番組では当初何で彼女は海外の人と結婚したのかというラブストーリー再現の一点突破だったんですけれど、ストーリーって大体パターンが決まってきて出尽くしちゃうんですよね。だから何で結婚したのかというよりは暮らしたからこそわかることをその人に聞きましょうと切り口を変えたんです。ここでは「世界の朝ごはん」の経験が役に立ちましたね。

「情熱大陸」20年の重み

そして現在は「情熱大陸」のチーフ・プロデューサーとして主に管理的な立場で携わっています。現場のプロデューサーがメインで動くのでそれをフォローしたり。誰を今取り上げるのか、何故この人なのかというジャッジがいちばん難しいですね。各界の第一線を走る人物をいち早く紹介してきたという実績とブランドを守るというのが、「情熱大陸」ならではの大変さだと思います。

“ドキュメンタリーの楽しさとは”っていう話をしようとするとそれだけで一晩語れちゃうくらい思いはあるんですけれど、僕の主観で言うとドキュメンタリーっていろいろなことが“近い”んです。
まず、テレビ番組制作の中でいちばん少人数のユニットでできる。最低カメラマンと僕、音声さんがいれば3人。だから演出家が“こうしたい”と言ったときにスタッフが50人もいる番組だったら伝えるのも大変だけど、ドキュメンタリーはカメラマンと音声さんに伝わればいい。よって自分の手触りがいちばん伝えられるし、取材対象とも必然的に距離が近くなりますよね。取材対象の方の心をどうやって開いていくかもやりがいだし、その醍醐味が好きです。成否も限りなく自分の責任だから厳しさもあるけど、やっぱり楽しいです。

今後も制作にはずっと携わっていたいけど、自分が諸先輩にして頂いたように後進の指導育成をすべき歳になったなので……それでもできるなら、最後に自分が演出をしてネイチャードキュメンタリーで海外に行けたら、幼い頃からの夢が叶うなぁと妄想しています(笑)。

自分なりに楽しさを見つけられる人が“デキる奴”

これからテレビ業界を目指す方も、既に業界で働かれている方も、自分の経験や後輩を見ていて思うのは、“ものづくりが心底好きだ”という強い気持ちがあるかないかが大事だと思います。

大概の人は作業としてこなすことも、自分なりに楽しんでやれる人は伸びると思います。僕が駆け出しの頃のカメラマンって、みんなお歴々で怖い人ばっかりだったんですよ。でも、みんな僕のところに来て「これ、昔俺がやった作品見てよ」って映像を持ってきてくれた。当時のプロデューサーが「新人にあの人たちがそんなことしてるの見たことない」と驚いていて、何でですかねと聞いてみたら「目がキラキラしてるから」と言われたんです(笑)。その時はからかってるのかとムッとしましたが、とにかく楽しそうだったんだと思います。見るもの聞くもの全て新鮮で!そういう姿勢でいると周りもサポートしたくなるしおせっかいも焼いてくれるし、いいチャンスも回ってくる。

今、僕も同じようなオッサンになりましたが、やっぱりそういう人ってすぐわかるし応援したくなりますよ。自分が置かれたフィールドで如何に楽しむことができるか、ものづくりが好きだという気持ちを持ち続け、伝え続けられるかで、仕事の質もキャリアも評価も大きく変わってくるという実感があります。
今希望のポジションにいられなかったとしても、その場所でどれだけ楽しんでもの作りに向き合ってるかで、チャンスも巡ってくると思いますよ。

(取材・ライティング:上野 真由香/編集・撮影:CREATIVE VILLAGE編集部)

番組情報

情熱大陸公式サイト
http://www.mbs.jp/jounetsu/