ただ、ひたむきに突き進む。自分の感性を大切に、試行錯誤の旅はまだまだ続く。
風貌はワイルド。しかし、ひとたび話し始めると冷静な自己分析と、番組創りへの情熱的なこだわりが顔を出す。それが、ディレクター平田祥士。
大学を休学してまでモンゴルの地を放浪し、外から見た日本の魅力に気づいた平田は、その思いをテレビの世界での表現に求めた。
報道からスポーツへ。客観的に本質を探るその眼には、彼が視聴者に届けたい本当のジャーナリズムが宿っている。
テレビの世界に入ったきっかけ
外語大3年の時、周りは外国語を使う仕事を探していたのですが、自分は何をしたらいいか分からず、ふらっと1年休学してモンゴルに留学、アジア放浪を決めました。海外で生活し「日本人の”No”とはっきり言わないところがいい」とか、価値観が違う様々な人たちと出会い、改めて日本の良さを見つめ直すきっかけになりました。「客観的に見た日本の姿や出来事を、アウトプットする仕事がしたい」と強く思って、テレビの世界に入ることを決めました。自分の思いを実現するため、後々いろいろな選択肢があるクリーク・アンド・リバー社(C&R社)を選びました。
報道の世界で学んだこと
最初はフジテレビ報道局外信部に配属されました。ADとして学ぶというより、ディレクターとして、日々飛び込んでくる海外ニュースの原稿を書き、映像編集してオンエアすることが仕事でした。入社して半年ほどで大変な出来事が。2001年の「9.11アメリカ同時多発テロ」です。発生から3日ほどは延々と続く報道特番のオンエアに追われ、過酷な勤務が続き肉体的にも厳しく、その上、連日悲劇の映像を見なければならず、精神的にも疲れが蓄積されました。その後も、アフガニスタン、イラクで起きた二つの戦争など、『即時性』が必要とされる特殊なニュースのオンエア経験で、対応力は身に付きましたがハードな時期でした。
報道からスポーツへ
沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』というプロボクサーのカシアス内藤さんを描いた本に出会ったことがきっかけで、スポーツドキュメンタリーを創りたいという思いが湧き起こりました。その思いは徐々に大きくなり、2006年4月に日本テレビスポーツ局のディレクターへとステップを踏むことを決意しました。
報道で生放送対応の経験をしていたことで、それ程苦労なくスポーツの現場に入れました。また、当時の局プロデューサーが理解のある方で、高校サッカーに携わった1年目は本社でディレクター、2年目は取りまとめ、3年目は現場中継ディレクターと、局員が経験できるかどうかのシフトに、どんどんチャレンジさせてくれて。それが今、様々な仕事の場面で生きています。
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映像創りと自分の武器
今年「2014FIFAワールドカップ」ブラジル大会を担当して、ゲームのハイライトや事前情報のVTR制作、スーパープレー集のまとめを担当しました。すべての試合を視た上で、見どころとなるシーンを瞬時に判断。解説者のこだわりを事前に把握することが重要でした。
夏の「全日本少年サッカー大会」では、ここ数年チーフディレクターとして番組演出に携わっています。プロスポーツとは違い、少年少女本人の頑張りや、周りの人たちの応援があってこそ成り立つ大会なので、ピッチで輝く選手と、それを支える人たちにも目が向くような番組創りを心掛けています。
どのような映像を創る時にも、感覚を大切にした上で様々なテクニックを駆使しています。「それが自分らしい画なのか」「気持ちいい繋ぎなのか」。視聴者を惹きつけるカッコイイ作品を創るのが常に目標であり、モチベーションになっています。
自分の武器は、自分がやれることを”地道”に頑張れることだと認識しています。効率よく仕事をすることもできませんし、特別な能力がある訳でもありません。試行錯誤を繰り返し、自分でなければできないという作品を創り続けていきます。
12月には「TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ」を担当します。皆さんを惹きつけられるか、ぜひ楽しみにしていてください。
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担当番組紹介
・TOYOTAプレゼンツ FIFAクラブワールドカップ
・全日本少年サッカー大会
・AFC CHAMPIONS LEAGUE
・FIFAワールドカップ
・全国高校サッカー選手権大会