奥藤祥弘は物心ついたときにはすでに映画監督になりたいと思っていた。
一心に映画監督を目指し進んできたはずが、気づけばずいぶんいろいろな道を通ってきた。
「重要なのは、好きな仕事に就くことではなく、今就いている仕事を好きになって愛することだと思うんです」
人生の最後、後悔だけは残したくない。どんなこともすべてこのためだったんだと思える場所にたどり着くまで、自分の根っこにある“好き”を大事に進んでいく。
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■ 年間300本の映画を見る小学生だった
現在は映像ディレクターとして、ミュージックビデオやライヴDVD、オンエアプロモーションに番組のオープニング映像や、「プリンセス プリンセス WOWOWスペシャル~永遠のDiamonds~」では初めて番組のディレクションもやらせていただきました。2012年に東日本大震災の復興支援として1年間限定で復活を果たしたプリンセス プリンセスを追った音楽ドキュメントですが、地上波などとはまったく別の切り口で、プリンセス プリンセスファンだけじゃなく、音楽好きな人にはだれでも興味を持って見ていただけるような、とても踏み込んだ内容になっていると思います。
主にディレクターですが、プロデューサーとして作品に携わることもありますし、企画、演出、撮影、編集、撮影もムービーとスチールの両方やりますので、作品によっていろいろな関わり方をしています。いろいろなジャンルやポジションでご依頼をいただくんですが、それは僕の何かしらを評価していただいているということだと思うので、基本的にはどんなお仕事も断らないようにしています。
2011年からフリーで活動していますが、それまではピクスに所属し、ミュージックビデオなどさまざまなジャンルの映像作品を経験させていただきました。僕はもともと映画監督になりたかったんです。子供の頃から映画が大好きで、幼稚園にもあまり行かず、単純に雨だから行きたくないとかそんな感じだったんですけど、家でずっと映画を見ていたようです。姉がふたりいるんですが、ひとりの姉が昔、「そんなに映画が好きなら映画監督になっちゃえば?」って言ったみたいで、それが潜在意識にあったのか、小学校3年生ぐらいから、映画監督になりたいと公言していました。その頃からひとりで電車に乗って映画館にも通っていました。ハリウッド映画からフランス映画、アニメから実験映画まで、手当たり次第見ていました。小学生のときは、年間300本は映画を見ていたと思います。
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■ 選んだその後をどうするか
当時は映画監督になる道のりがわからず、高校卒業後は日本工学院専門学校放送芸術科(現クリエイターズカレッジ 放送・映画科)に進みました。学校まで片道1時間半かかるんですけど、真面目に行ってました。中学・高校と映画好きは周りにいましたけど、映像業界を目指しているような人はいなかったので、映像についてきちんと会話ができるやる気のある仲間ができたことが、一番楽しかったし、よかったことです。
僕はデジタル映像コースという実験映像ばかり見る変わったコースでした。校舎から少し離れた雑居ビルの中に教室があって、フィルムを扱う都合上、窓も黒張りされていて、アンダーグラウンドな空気がプンプン漂っていました。いまの日本工学院のイメージからはまったく想像もつかない、とにかくエキセントリックで、僕にとって特別な場所でした。メジャー作品を扱う現在でも、当時教わったことが活かされる場面が多くあります。
専門学校は希望の仕事に就くために入るわけだけど、できれば目指している仕事の一歩先を考えられるようになれるといいと思います。バラエティーをやりたい、カメラマンになりたい、最初はそれでいいと思いますが、「バラエティーでどんな笑いを見せたいの?」「カメラマンとしてどんな画を撮りたいの?」ってことです。いま自分の目標があるとしたら、その一歩先を考えるだけで、具体性が高まって夢に近づいていくと思います。
卒業後は番組系の技術会社でカメラアシスタントを半年間経験し、ピクスに入社しました。プロダクションマネージャーとしてミュージックビデオをメインにさまざまな作品を手がけ、2008年頃からは、少しずつですがディレクターを任せてもらえるようになりました。演出に至るまでにいろいろな分野をやりましたが、道がそれたからといって自分の世界観って崩れないんだなって思いましたし、いろんな経験がすべていいほうに転がった。僕は映画監督を目標にしていたので、最初、番組系の技術会社でテレビ番組のカメラアシスタントをやることになり、正直テレビの仕事は好きではなかったから、けっこう辛かった。でもだからこそ頑張ろうとカメラを勉強したから、いまカメラマンとしてもやれている。テレビ番組制作に関する知識もついたし、それはそれで強みになっています。最初はミュージックビデオやライヴにもまったく興味なかったんですけど、やってみると実はそこにも物語があって、映画好きの僕ならではの視点が活かされているのか、ほかの人とは切り口が変わっていて、そこが評価されたり。回り道に思える経験でも、決してマイナスにはならないんです。だから迷ったらやってみる。重要なのは選んだその後だと思います。
■ 狙った場所に到達するために
演出ができないモヤモヤはありましたけど、ピクスでのプロダクションマネージャーの経験は大きかったと思います。予算とクオリティを管理するためには、演出、撮影、照明、美術、衣装、メイク、編集等々、作品に関わるすべての事象を把握し、調整しないといけないので、すごく知識が広がりました。おかげで、現在個人請けでも仕事を受注しているのですが、ひとりで作品を仕切ることができます。技術的なこと、クライアントへの話し方や仕事の進め方、メールの出し方も、当時必死に努力した覚えがあります。みんないろんな責任や想い、願いを背負って撮影現場に来るわけだから、プロダクションマネージャーにできること、責任というのは、各部署のパフォーマンスをバランスよく、いかに一番いいところをもっていけるかだと考えてやっていました。
独立したきっかけは、次のステップに進みたいと思ったからです。いまも、もちろん映画監督への思いはありますが、まずは自分の地盤を固めることが先決だと考えています。ただ、もうそろそろ狙ったところにちゃんと着けるようになりたいと思っています。僕はふたつドアがあったら、間違ったほうに行っちゃう人間なんです。本当は1回ドアを開けて様子を見ればいいんですけど、違うドアを開けてしまっても、だったらここで面白いこと見つけちゃえとか、入室拒否に遭ってもそれなりに道があったりだとか。だけど今度こそは、入りたいと思った部屋にきちんと入りたい。そのために、いまいただいているいろんな仕事を大事にやっていこうと思っています。焦らずにやれることをやる。もう少しもまれていてもいいのかなって気がしています。
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