大学卒業後、博報堂で営業として5年間勤めたという異色の経歴を持つ作曲家/音楽プロデューサーの齊藤耕太郎さん。“人の心を動かす”クリエイティブを音楽でアプローチし、CMや動画などの効果演出としての音にとどまらず、画や言葉では突破できない表現課題を音楽で突破するサウンドクリエイティブを実践されています。
そんな齊藤さんに、CMというフィールドにおける、音楽のクリエイティビティについて、伺いました。
思春期をインドで過ごし、独学でピアノと作曲を習得。慶應義塾大学在学中にメジャーデビューの誘いを受けるも、以前から興味のあった広告ビジネスの世界に就職。株式会社博報堂でのアカウントプロデュース職を経て、2014年に独立。サウンドクリエイターに正式転向。企業のTVCM、ショーへの楽曲提供など幅広く活動を展開中。2018年8月にはオリジナルアルバム『BRAINSTORM』をリリース。収録曲「秒の間」「Brainstorm」がSpotifyのバイラルトップ50(日本)で1位、2位を獲得し、話題となる。
たまたま弾いたピアノで音楽に目覚め、作曲家を志す
――まずは齊藤さんのご経歴をお伺いします。音楽に触れたきっかけは何ですか?
中学の3年間、父の仕事の都合でインドに住んでいました。周りは治安が良くなくて、屋外で遊べなかったので、何か屋内で出来ることはないかなと考えていたんです。
母がピアノを弾いていたので、それをちょっと触ってみたら面白くなって。
実はそれまで、ピアノを習ったこともなければ、触れたこともなかったし、音楽にも特に関心はなかったんです。
ただ、特に訓練はしたことなかったけれど、なぜか人よりも音感が良くて、音を聞くだけでその音階がわかった。それで、ピアノを弾けるようになろうと思って、ベートーヴェンの「月光」を弾き始めました。
――いきなりベートーヴェンを弾き始めるのはすごいですね。
漠然と曲を書きたいなとは、わりと前から思っていて。それで作曲も始めるようになってきて、作曲家になりたいという気持ちが強くなっていきましたね。
あと、この頃から音楽もたくさん聴くようになりました。日本のアーティストだとGLAYやX JAPANをよく聴き漁ってました。
ほどなくしてイギリスのロックバンドQUEENに傾倒し、フレディ・マーキュリーに強い憧れを抱きました。あの天才的なボーカル力と、爆発的な作曲能力はもはや神だなと。
それに彼も少年時代をインドで過ごしたことがあると知って、親近感を持ちましたね。
――帰国後はどんな音楽活動をされていたんですか?
高校を卒業して大学に入学すると、ひたすら打ち込みで音楽を作っていました。
発表する機会もあって、服飾専門学校生のファッションショーのプロデュースを手掛けたこともありました。自分が作った曲を使ってもらえる場に飢えていたので、すごく嬉しかったですね。
3年の時には、あちこちのレーベルにデモテープを送ることもしました。そのうち2社ほど声を掛けられて、1社は具体的に話が進み、メジャーデビューのチャンスが生まれたり、
他にもつながりのあったプロデューサーに楽曲提供をやってみないかと言われたり。
――そのまま音楽の道に進むのかと思いきや、企業に就職されるんですよね。
音楽業界がやや落ち込んできたところに、リーマンショックという経済へのインパクトが重なったころでしたから、これから音楽家として生計を立てていくにはどうしたらいいのかなと、いろいろと考えました。ただ、周りは就職活動の時期を迎えて、せっせと活動を進めていて、そっちも気になって。
当時、広告業界を舞台にしたドラマが好きでよく見ていたんです。それで漠然と、広告クリエイティブの現場って面白そうだと、ちょっとミーハーな気持ちで興味をもって。そしたら知り合いが広告業界にいることを知って、話を聞いてみたんです。
それで、やっぱり社会のこともちゃんと知って勉強したい、と考えて博報堂を受けて入社しました。
博報堂では多くのことを学びました。生活者視点でデータを集めたマーケティングで、ユーザーインサイトからどんな課題が生まれて、それをどう解決していくのかというような、理論立てて考える思考法が身に付きました。
――いつ頃から独立を考え始めたんですか?
常に音楽のことは考えていたので、ゆくゆくは音楽の道に進もうとは思っていたんです。そのリミットをだいたい5年くらいと決めていました。
多分それを過ぎると会社を辞められなくなってしまうだろうと思ったし、30歳くらいには、いっぱしの仕事ができるよう、それまでに何かしらの成果を出していないとダメだろうと考えていて。
博報堂在籍中には、周りの友人で音楽や芝居をやっている仲間がいたので、彼らと協力して一緒にライブをやり始めました。友人の勧めで2013年にはアルバムもリリースしたんですが、それが自分の中で独立の機運を高めるきっかけになりました。
同世代の映像業界の仲間たちとショートフィルムの制作もしたのですが、完成上映会に、業界関係者の方も来てくださって、普段仕事で関わりのあった映像監督やCMプロデューサーの方々とも、「初めて音楽家志望として」個別にお話しする機会にも恵まれました。
そのうち社内でも僕の存在を知って音楽を作るチャンスをいただけるようになって。1本制作のオファーを受け、それで会社を辞めようと決心して、その後独立しました。今思えば、無謀な決断だったのかもしれません(笑)。
画や言葉だけでは解決できない課題を突破する「音色の力」
――広告代理店でマーケティングのノウハウを習得されたことから、その経験が特に、CM音楽制作にどのように活かされているのか興味があります。どのような制作プロセスなのでしょうか?
TVCMの仕事は自分にとって馴染みがありますし、画が美しいクリエイティブの一つだと思います。
CMとは、わずか数秒のために企業が広告費としてお金を投資し、人の心を動かしていくというクリエイティブ。その中で音楽は、ものすごく短い尺で緩急をつけるなど、表現の難易度は高いけど、それが自分にとっては魅力的で、面白いなと思います。
僕が実際どのようにCM音楽制作に携わっているのか、実際の作品を例にご紹介しますね。
2016年に、Z会で知られる株式会社増進会ホールディングスのサウンドロゴ制作のオファーをいただきました。
この案件で僕は、サウンドロゴの制作における戦略的な方向性についてプレゼンしました。
Z会さんの理念は、本物の学力や、他者と共に課題を乗り越える力を身につけることで、自ら将来を拓いていけるように、子どもたちに寄り添っていくというもの。僕はここにすごく共感したんです。僕も教養や知性ってすごく大事なことだと思うから。それを持って自発的に、前向きに生きていく子どもの姿をイメージしたときに、子ども扱いしないコミュニケーションで、建設的な未来に向けて発信しようと考えました。
約1秒という限られた尺で表現された音がこのクリエイティブすべての印象を決めてしまうので、いろんな楽器で音色を検証しました。和音を奏でた時の“未来に向かう”印象付け、特に高音で伸びていくときの煌びやかさから、最終的にはピアノに決めました。
また、和音の構成もZ会のコーポレートカラーであるブルーのトーンに合うような寒色系のコード進行を選び、なぜそれがZ会の企業理念に寄り添えているかも丁寧に提案しました。
このように、理念の解釈から入っていって、実際に音で表現する手法を提案したので、お互いの共通認識を持つことができたんです。なので、その後の制作がすごくスムーズでしたし、自分にとってものすごく達成感がありました。
――映像のバックに使う音楽について、体系的に説明いただくと、納得しますし、何より安心感がありますね。でも、実際の現場でこのように音作りから入るようなケースってどのくらいあるんですか?
クライアントへの企画が通ったら、演出家を決めて、それから音楽などによる演出を考えて…というパターンが多いです。つまりCMに使う音楽は全体の演出のなかの要素の一つ。極論、刺身で言うとつまのような存在に近いことが多いのではないかと僕は思います。
また、業界の傾向として、制作費が全体的に下がってきているので音楽にまで潤沢に費用を掛けにくいという現状もあります。それを受け止めつつも、音楽って何かを変えられるほどのパワーを持っているんだよという価値を認めてもらえるようなコミュニケーションを作っていかないといけないという想いがあります。
サウンドロゴを作ってみて、企業にとって必要なメッセージを音に凝縮して表現することの重要性だけでなく、音の持つポテンシャルやパワーを実感しました。画や言葉ではなく、音だからこそ解決できる課題もあるんだという気づきを得て、音楽って非常にパワフルなクリエイティブなんだなと改めて思いましたね。
自由な音の表現力を磨いてクライアントワークに還元してゆく
――ご自身でアルバムも発表されていますよね。最近では8月にリリースされた「BRAINSTORM」がSpotifyのバイラルトップ50(日本)で1位を獲得され、一定の手応えを得られたそうですが、齊藤さんにとってオリジナルワークを発表することにどんな意義がありますか?
オリジナルのほうは、自分の名前で出すもので、今後のクライアントワークを充実させることも意識してかなり力を注いで作りました。
このアルバムは、「聞き手のアイデアを自由に広げる音楽」をテーマにちょっとギークな人に向けてわかる人にだけわかってもらえればいいかなという思いで、自分のやりたいことだけを追求して作りました。それがSpotifyのバイラルトップ50(日本)で1位と当初の想定以上の数字的成果に繋がり、ありがたく、驚いています。
またそれによって、自分の音楽的な素養や、独立してから5年で培ったスキルで創り上げたものが、自分の想像以上に一般のリスナーにも良いと評価をいただいたことはすごく自信になりました。
今後はクライアントワークとオリジナルワーク半々くらいを目指したいと思っています。ただ、今はクライアントワークのほうがすごく楽しい。僕が作る音楽の価値で課題を解決するというマーケティング的戦略として使ってもらえたら嬉しいです。
異色のキャリアを強みに、音楽業界を盛り上げていきたい
――CM音楽だけを切り取っても、様々なサウンドクリエイターの方が活躍されている中で、今後どのように活動していきたいと思いますか?
音楽業界にとっては異業界出身だからこそ、こういうやり方もあるんだということを世の中に提示していきたいと思います。
また、自身のオリジナル楽曲が企業や商品の課題解決そのものになるケースをより多く生み出し、僕自身がプロジェクトに関わることがバリューとなるようなキャリア形成を行いたいです。
つい最近僕が音楽、サウンドデザインを担当した横浜・八景島シーパラダイスの新ナイトショー「LIGHTIA(ライティア)」では、僕がオリジナル作品としてリリースした「Love Song」という楽曲がショー全体のメインテーマを担っていて、ショー向けに作られた様々な表情の楽曲たちは、全て「Love Song」の世界観を足し引きして作られています。芸術性を追求した僕自身の分身のような音楽が課題やコンテンツの柱として「機能」する音楽をもっと作っていきたいと思いましたし、それこそが僕のオリジナリティだと考えています。
音楽って最も言語化しにくいものの一つだと思います。
説明を求められて「ピアノでチャランと奏でます」では全く理解してもらえない。「明るく前向きな感じを出すためにピアノを使います」という表現を使いがちだと思いますが、果たしてそれが、たった1.5秒のサウンドロゴで企業理念の表現の説明になっているのだろうかと。
なぜ楽器はピアノなのかとか、このビジョンをどういう音階で表現するのがふさわしいとか、といったことを理論立てて体系的に説明する必要があると思っていて、僕はそれが得意ですし自分の強みとして、音楽業界を盛り上げていきたいなと思っています。
撮影:SYN.PRODUCT/取材・編集:岩淵留美子(CREATIVE VILLAGE編集部)