テレビ業界で大道具として道を切り開き始めた高塚敏史。
「ある出演者の方に、セットがとても気に入ったので写真撮っていいですか?って言ってもらったことがあって。うれしかったですね。自分の仕事を見てくれている人がいる。すごく幸せを感じられる仕事です」。だが、テレビ業界で働くということは決して楽な道ではない。「3年目を過ぎたぐらいからやっとです。それまでは必死にしがみついてなんとかやってきました」。大道具という仕事の真髄に触れたい、高塚はその一心で進んできた。

■ まるで魔法のようでした

大道具という仕事に興味を持ったのは、高校3年生のときです。偶然テレビで大道具の仕事を紹介している番組を見て、ものすごく感動したんです。時代劇のドラマのセットをつくっているところが紹介されたんですが、何もないだだっ広いスタジオがあっという間に江戸時代になって、まるで魔法にでもかけられたようでした。それで大道具の仕事をもっと知りたくなりました。それがこの世界に踏み出すことになった第一歩でした。
ちょうど高校卒業後の進路を考えていたときで、大道具の勉強ができる学校をネットで調べていたら、トップに出てきたのが日本工学院八王子専門学校でした。それで体験入学に参加したんですが、実際に段差をつくったり、パネルとよばれる壁を3方につけたり、それだけでも部屋になるんですよね。すごく面白いと思いました。
それまで自分がテレビ業界で働くなんて考えたこともありませんでした。ただ、人とは少し違うことをやってみたいという気持ちはありました。僕は母と姉の3人家族で育ったんですが、母は「できる限りの支援はするから、25歳までは好きなことをしていい。自分のやりたいことを見つけなさい」と言ってくれました。その言葉でずいぶん気が楽になりましたし、背中を押してもらいました。
それで日本工学院八王子校クリエイターズカレッジ放送・映画科に進みました。やる気がある学生への支援は惜しまないというのが、八王子校のすごくいいところだったと思います。あるときは50メートルのそうめん流しをつくりました。友だちの家から竹を切って運んで組み立てて。まさに大道具の仕事です。同級生にも恵まれました。だれかがパッと言ったアイデアを、面白い、やってやろう!って、先生まで巻き込んで実現させてしまう。いろいろ好きなことをやれたし、本当に面白かった。いまも当時の同級生はいい仲間です。

 

■ このチャンスを逃したくない

当時は大道具の求人が少なくすごい危機感を感じていたので、早くから積極的に就活をしました。それで2年生の5月に現在所属しているタフゴングから内定をいただいたときは、本当にうれしかったです。在学中からバイトとして入らせてもらい、工場のほうでセットづくりを勉強させてもらいました。が、大変でした。3月は特に辛かったです。学校は卒業式だけなのでフルで入らせてもらったんですが、改編期と年度末が重なってすごく忙しく、プレッシャーと緊張で急性胃腸炎になってしまいました。何やっていいかわからない、やるべきこともやり方もわからない。だけど周りはドンドン進んでいって、気づいたら終了時間だったり。ただ僕は記憶力だけには自信があったので、言われたことや先輩のやり方を覚え、機械の癖も頭に叩き込んで、とにかく常にアンテナだけはってました。大道具さんはみなさん耳がすごいダンボなんです。作業をしながら周りの状況を見ている。そうじゃなきゃ現場は勤まらないんだと思います。
契約社員からの出発だったので、どうにかして自分を認めてもらいたいと一生懸命でした。僕はとにかく聞いてました。指示を待つんじゃなくて、「どうすればいいですか?」「これ終わりました、次は?」って質問攻めです。上司からすれば迷惑だったでしょうが、入社して自分にやれることは何なのかと考えたときに、もう声を出すことしかないと思ったんです。大きなものを運ぶときは「押さえてますよ!」とか「曲がります!」とか、すごく小さなことですけど、自分はここにいます!っていうアピールでした。就職が厳しい時期だったので、掴んだこのチャンスを逃したくないと必死でした。

 

■ 3年間は頑張れ!

去年から正社員になりました。でもここに来るまでに何度も挫折しかけました。人によってやり方が違う、正解がない世界なので、昨日までの方法が今日は通用しなかったり、それでキツい言葉で叱られたり。時間に追われる現場なので10のうちの0.5しか説明してもらえなくても、次何が必要かを察して動かなきゃいけない。覚えること考えることだらけで、もういっぱいいっぱいでした。それでも「まだこれだけしかやれてない。こんなんでいいのか」と自分を叱咤激励しなんとか踏みとどまりました。
現場の先輩にも救われました。ある先輩は何度も朝まで僕の話を聞いてくれたし、「3年間は頑張れ。それを過ぎたら辞めていい。でもそれまでは絶対に引き止めるから」と言い続けてくれました。そのちょうど3年が過ぎた頃、初めて番組のひとコーナーを任されました。それから深夜番組や小さなレギュラー番組をやらせてもらえたり、テレビ局のAP(アートプロデューサー)から指名していただけるようにもなりました。
僕が尊敬している大道具のチーフの方はとにかく緻密、考えに考え抜いている人です。どれだけシミュレーションしていても、予定外のことって起こるんです。で、どうするか。大事なのはその発想の瞬発力なんですが、そのためにもチーフには、図面をしっかり見なさいと言われています。建てるパネルがどのくらいの大きさなのか、大きさがわかれば重さも建てるのに必要な人数も見えてくる。つまりきっちり準備ができる、備えられるということだと思います。あとはちゃんとセットの肝を理解すること。それが掴めていれば、いざというときに判断を間違わない。気を抜いたり、楽なほうに行ってしまいそうになることもありますが、すごい先輩を見てると、もっともっと努力しなければと思います。
大道具の仕事はまるで魔法みたいだって思いましたけど、違ってました。大勢の人の汗と努力と、そして計算の上に成り立っているものでした。だけど、あれだけの人間が同じ方向を向けば、なんだってできてしまう。魔法ではないですが、やっぱりすごい世界です。

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