腕試しのつもりで描いた初めての作品で、マンガ家への道をつかんだ大谷華代。日本工学院八王子専門学校在学中にデビューを飾り、その後もコンスタントに作品を発表し、着実にマンガ家としての道を歩んでいる。
「でも本当は連載を持って、単行本を出せるぐらいにならないといけない時期に来てるんです。だからもっと頑張らなければと思っています」
デビューして5年。周りからは順調に見える道も、試行錯誤の繰り返しだった。悩んだ末に、マンガが描けなくなってしまった時期もあった。絵の勉強のために、アシスタントとして作品に参加させてもらうこともある。それでもマンガを描くことは楽しい。
「ダメだと言われればしようがないですけど、出していただける限りは、ずっと描き続けていきたいと思っています。やっぱりマンガが好きだし、そうじゃないと、こんな重労働やれません」
子供の頃から本やマンガに影響を受け、たくさんの物語を紡いできた大谷。その天性の才能と努力で、これからどんな素敵な世界を、私たちに見せてくれるのだろう。
■ 話を考えるのが好きでした
小さい頃から本やマンガが大好きでした。本は図書館で借りてよく読んでいましたし、マンガは少女マンガ雑誌の『りぼん』と『なかよし』を両方買っていました。月刊誌なので毎月発売日が待ち遠しくて、話の続きを想像しながら読むのが好きでした。気に入ったマンガを真似して絵もよく描いていました。下手でしたけど、描くことも楽しかったです。
そのうちに、「こういう話だったら面白いんじゃないかな」ってストーリーを考えては、自分でノートにコマ割りをしてマンガを描くようになりました。描く道具は、小学生のときにクリスマスプレゼントで一式買ってもらいました。いまでもその道具を使っています。その頃から漠然とマンガ家になれればいいなと思ってはいましたが、本当にあこがれていた程度でした。
中学生になっても変わらずマンガは好きでしたが、あまり描いてはいませんでした。自分の想像した話を描くには、技術がまったく追いつかなくて。だけど、とにかく話を考えるのは好きだったから、思いついた話を結構な数ノートに書きためていました。ものすごく悩んだときはそのノートを見るんですけど、あまりに痛々しくて使えません(笑)。高校では、部活はマン研に入りました。でも、マンガはマン研の雑誌に15ページぐらいのものを、2作品ぐらい描いた程度でした。いま見ると笑っちゃうようなものです。
高校生のときに学校で見学に行った日本工学院八王子専門学校で、マンガを学べるコースがあることを知りました。友だちにはものすごく絵のうまい子もいましたし、私は絵にも話にもまったく自信がなかったから、学べるものなら学んで、少しでもマンガがうまく描けるようになりたいと思いました。それで日本工学院八王子専門学校マンガ・アニメーション科(現クリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科)に進みました。八王子校は家からも近かったし、構内も広くてなんか安心できたんです。大学に進学することも考えましたが、両親も「とりあえずやってみないさい」って言ってくれて、とても理解のある親で、当時も、そしていまも本当に感謝しています。
■ 19歳でマンガ家デビュー
当時マンガ・アニメーション科は、1学年70人ぐらいいました。最初に自己紹介をかねて絵を描いたんですけど、上手な人ばかりで、「どうしよう、すごいレベルのところに来ちゃったかも・・・・・・」って、ちょっと緊張しました。だけど授業は楽しかったです。これまで知らなかったマンガの現場のことやいろんなことを学ぶことができたからです。逆に残念だったのは、在学中にデビューが決まったので、後半学校にあまり行けなかったことです。もっと授業を受けたかった、せっかくの学べる環境を逃してしまったようでもったいなかったなと、いまでも思っているぐらいです。
自分の実力やレベルが知りたくて、1年生の夏休み中に31ページの作品を1本描いて、小学館の新人マンガ賞に応募したんです。その作品で奨励賞をいただきました。本当に運がよかったとしか思えなくて、受賞の電話を受けたときも、「え?」って感じで、まったく信じられませんでした。それで担当の編集者さんについていただいたんですけど、最初にお会いしたときに、「まず、絵を直せ」と言われました。いまでもあれでよく賞をもらえたなって思うほどひどかったんです。それからいろいろアドバイスをいただきながら新しい作品を仕上げていき、完成したのが翌年の1月でした。タイトルは「私が1番!」。その作品で『Sho-Comi』増刊でのデビューが決まりました。
掲載号があがってきたときは、「ちゃんと本になってる・・・・・・」って感じで、すぐには実感がわきませんでした。鉛筆書きだったセリフもきちんと写植が貼られていて、タイトルもデザインされてコピーも入って表紙もついているし、いままでずっと読んできた本物のマンガと同じ仕上がりになっていて、なんだか自分の作品じゃないような気がしました。本当に何が起こっているのかわからないままにデビューさせていただいたって感じです。あまりにうまくいきすぎて私自身も戸惑いがありましたけど、一番驚いていたのは日本工学院の先生でした。「え! 大谷がデビューなの?」って(笑)。
最新作「あみ恋。」より ©大谷華代/Sho-Comi/小学館
■ 読者のみなさんあっての私です
それからは『Sho-Comi』増刊に隔月で出させていただいて、卒業前には初めて本誌にも掲載してもらえることになりました。本誌っていうと、それこそいつも自分が読んでいた作品を描いている先生方と一緒に載るってことですから、うれしさも緊張感もそれまで以上にありました。
デビューが奇跡のように決まっていったので、長く描き続けられるだろうか、そんなに人気がとれるだろうかって不安ばかりで、正直自信はありませんでした。そんな私がここまで続けられたのは、担当編集者さんや、日本工学院の先生方、ずっとアシスタントとして助けてくれている高校時代の友人、そして理解ある家族といった周りの人に恵まれていたからだと思います。
現在は、ひとつ作品が終わったら次の作品のプロットと資料を出して企画会議にかけてもらうといった日々です。マンガ家はたくさんいるので、かなり厳しい競争です。絵は研究と努力を重ねてよくしていくしかないし、テーマも毎回必死で考えて、自分にしかつくれない話というのを意識しながら、しっかりキャラクター設定された作品を目指して頑張っています。
デビューしたての頃は、ひとりよがりだったというか、プロとしての自覚に欠けていたと思います。自分としては面白いと思って描いていたんですが、本当にこれが読者のみなさんが求めている作品なのかどうかを、もっと真剣に考えなければならなかった。いただいたアンケートや細かく書いてくださっている感想を参考に、他のマンガ家の作品も研究したりして、最近少しはみなさんに喜んでいただける作品が描けるようになってきた気もしています。
マンガ家として生き残っていける人というのは、きちんと読者を意識して描いている人だと思います。自分らしさも持ちながら、話も絵も、読者の好みや気持ちにそって多彩に変化していける人。そういうマンガ家はいつまでも人気を保っていけるように思います。どんなに頑張って描いても、読んでくださるみなさんがいないと、どうしようもない。読者のみなさんあってこその私だと思っています。
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©大谷華代/Sho-Comi/小学館
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