熊本県葦北郡芦北町を舞台にした映画製作の監督・脚本を務める篠原隼士さん。「日本一仲間の多い映画プロジェクト」と銘打ち、SNSを活用した新時代の映画作りを推進しています。そんな篠原さんが映画に全力を傾けるために選んだ働き方とは。今の仕事との出会いや、映画に込めた思いをお伺いしました。

篠原 隼士(ササハラハヤト)【Twitter】@HayatoSasahara
平成4年1月2日 熊本県生まれ。
タッタラズ代表 / ONE MEDIA チーフディレクター2012年に映画の企画から公開を一貫して行う団体「タッタラズ」を立ち上げ。現在に至るまで20本以上の映像作品を制作。
2017年から製作がスタートした『あしきた映画』を、SNS全盛時代による「新時代の映画作り」と位置づけ、プロジェクトを統括。映画制作に限らず、地元・熊本県芦北町での「子ども映画教室」の開催や、映画祭運営など、映画や映像における総合的な活動で、豊かな社会創造を目指す。

映画を撮るために歩んだ半生

――早速ですが、映画監督になろうと思ったきっかけはなんですか?
それが自分でもまったくわからないんです。ですが、小学生の時には既に映画を撮っていました。友達がカメラマンで僕が役者。昼ドラにありそうな不倫映画を撮った記憶があります(笑)。

強いて言うなら映画好きな父親の影響があるかもしれません。毎週日曜日になると車で2時間かかる映画館まで僕を連れて行ってくれました。幼い僕にとって映画館はレアな場所であるとともに、平日はいつも仕事で家にいない父親と唯一一緒にいられる場所でもありましたね。

――幼いころから映画が好きだったんですね。ということは、工業高校に進学されたのも何か理由があるのですか?
いえ、それに深い意味はないんです。映画を撮るならカメラのことを知らなければいけない、カメラマンは技術職だ、技術職と言えば工業高校だ…と(笑)。漠然と普通科ではない、と思って進学しました。映画編集は高校生の時からしていましたが、本格的に映像製作を勉強するようになったのは東京の専門学校に入学してからですね。

――そうだったんですね。慣れ親しんだ土地を離れる不安はありませんでしたか?
一切ありませんでした。当時の僕は、映画監督になるためには上京する以外に道はないと思い込んでいたんです。ところが、いざ入学してみると授業で作る映画だけでは物足りなくて、次第に仲間で集まって自主製作をするようになりました。その活動から生まれたのがタッタラズ(映画製作団体)です。

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――タッタラズは専門学校卒業後に立ち上げた団体ですよね。失礼ですが、就職しようとは思わなかったのですか?
実は、専門学校を卒業して一度は就職したんですよ。ですが、僕は正社員として働くのが得意ではないみたいで、すぐ辞めてしまいました。最初のうちは「働くことから逃げているだけだ」と自分を責めていたのですが、次第に「それなら今はタッタラズの活動に全力を注いでみよう」と気持ちを切り替えることができて。それから1年ほど映画製作に集中した後、派遣や業務委託として働きながら映画を撮るようになりました。

エージェントが結び付けたONE MEDIAとの出会い

――クリーク・アンド・リバー社(以下、C&R社)に登録してからのお話をお聞かせください。
登録面談で「僕は正社員として働くのは難しいです!映画があるので!」 とキッパリ言ったのを覚えています。その時の僕は他の会社にも登録していて、人材サービス会社への印象があまり良くなかったんです。

登録してからは条件にあう求人をいくつも提案されましたが、僕の妙なこだわりで突き返した求人は数え切れません。それでもそんな僕の要望に応えようと必死になってくれたエージェントがいたんです。僕が今所属しているONE MEDIAはそんなエージェントが自信をもって紹介してくれた企業です。僕もその求人を見て一目で気に入って、そこからはトントン拍子で決まりました。

――ONE MEDIAに入ってからの感想をお聞かせください。
そうですね…。入社後の面談で社長から、「君は新しい映画の作り方をしているからいい!」と言われたのは印象的でした。映画をやっている僕を心から応援してくれていることが伝わってきて、本当にいい出会いだったと思います。

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最初はディレクターとして業務委託契約をしましたが、一年も経たずにシリーズを統括するチーフディレクターになっていました。携わった動画はSmartNews(スマートニュース)に掲載したインフォグラフィック動画だけでも50本以上あります。今でも時々ディレクターを兼任することもあるんですが、それもまた楽しくて。それだけ信頼されているんだなと思うと嬉しくなりますね。

ONE MEDIAはネット動画の製作・配信を行っている会社なのですが、このメディアは時代の流れにあっていると感じます。どれだけの人が見たのかをダイレクトに知ることができ、数字を見て次の手を考えることができる。 ここでの仕事は悩む時間すら楽しいんです。きっとONE MEDIAは数年後、映像業界を目指す学生の人気No.1企業になると思いますよ。

一分一秒すべてを無駄にせず映画のために使いたい

――唐突ですが、ブログに「尊敬する職業はお笑い芸人」と書いていましたよね。映画監督はみんな尊敬しているから一人に絞れない、と。お笑い芸人と映画監督にはどんな共通点があるのでしょうか?
僕のブログを読んでくださったんですね、ありがとうございます(笑)。
壮大な話をしますが、僕は世界を変えるために映画を作っています。そしてそれは、クリエイター全員に共通する話だと思うんです。

お笑い芸人のライブを見たことがありますか? 僕が以前見に行ったのは平日昼間だったのですが、その時点で夜の公演も満席になっていたんですよ。これは本当にすごいことだと思いました。見に来る人はみんな、平日にもかかわらず笑うために足を運んだんです。それを見た時、「笑わせる」というシンプルな方法で人の人生を変えている仕事がお笑い芸人なんだと思いました。

――確かに、笑いと映画で手段は異なりますが、見た人の気持ちに変化を与えるという共通点がありますね。篠原さんはいつもどんな気持ちで映画を撮っているのでしょうか?
僕は映画を死ぬ覚悟で撮っています。命を削って、撮るたびに死にそうになって、それでも映画を撮っています。ですが、それがどうゆうことなのかを言葉では伝えられません。だから、僕の映画を見てほしいと思います。

例えば、僕が今つくっている『あしきた映画』は僕が28歳の時に公開されます。おそらく20代ラストの映画になるでしょう。映画1本をつくるのにどれだけの時間がかかるか考えてみてください。少なくとも今の僕のペースでは5年に1本。つまり50年で10本しか作れないんですよ。一生を費やしてもそれしか世の中に発表できない。なら僕は、一分一秒すべてを無駄にせず映画のために使いたいんです。

ですが、こうして僕の一生を費やしてつくった映画も、見られなければ何の意味もありません。見てもらうためには、篠原隼士を知ってもらわなければいけないと考えました。「クリエイターは黙って良い作品を作っていればいい」という時代は終わったんです。

――「日本一仲間の多い映画プロジェクト」はそうしてできた映画を多くの人に届けるためのプロジェクトなんですね。映画を撮影する前からSNSを活用してマーケティングを行った映画は日本で初めてかと思いますが、手応えはいかがでしょうか。
クランクイン前にもかかわらず、『あしきた映画』の動向を気にしてくれている仲間はたくさんいます。芦北町の人口だけでも約1.7万人ですが、このプロジェクトの仲間は九州を中心に日本全国にいるんですよ。そして、この仲間は今度も増えていくと予想しています。

これまでの映画において、観客はあくまで完成した映画を受け取るだけの存在で、製作過程に関わることは一切ありませんでした。ですが、このプロジェクトではこれまで観客だった皆さんが作り手として参加します。映画に関わった人は完成を待ち遠しく思ってくれるでしょうし、映画が面白ければ人に勧めてくれる。

SNSはこのプロジェクトにぴったりのツールですね。篠原隼士という人間に興味を持ってもらうことができ、いろんな人と繋がって意見をもらうことができる。これが、「新時代の映画の作り方」なんです。

――「今の日本に足らないものが芦北にはある。」というキャッチコピーが印象的な『あしきた映画』ですが、それは具体的にどのようなことでしょうか?
芦北のみんなは“おせっかい”なんですよ、いい意味で。まだ撮影も始まっていないのに、「役者さんのご飯はどうする?」「ロケ地に困ってない?」「お金は足りてるの?」と声をかけてくれます(笑)。おかげで役者のオーディションをする前から炊き出し担当もロケ地も決まっているんです。彼らには人のことを想う“ゆとり”がある。僕は“ゆとり”を持つことは幸せへの第一歩なんじゃないかと思うんです。

例えば、ご近所さんとの物々交換って誰しも経験があると思うんですけど、そういった田舎でよく見る人同士のつながりって、東京では見えないんですよね。存在しないわけではなくて、時間とか仕事とか、何かで忘れているだけなんだと思います。それを思い出してもらうきっかけに『あしきた映画』がなれればいいですね。

――つまり、『あしきた映画』は都会の大人たちに向けた作品なんですね。今まで製作した映画はどれも子どもに向けたメッセージを感じるものでしたが、ターゲットを変えたのには何か理由があるのでしょうか?
子どもの時に出会う映画が何であるかによって人生は変わると思うんですが、それ以上に子どもの時に格好いい素敵な大人に会った方が絶対いいと僕は思っています。今の時代、子供に格好いいと言われる大人って少ないと思うんですよね。ですから『あしきた映画』を見て、心に“ゆとり”ができれば、それが格好いい大人を増やすことに繋がるんじゃないかなって。そんな映画を作るには、僕も格好いい大人になる努力をし続けなければいけませんね(笑)。

――最後に。篠原さんにとって、『あしきた映画』はどんな映画になりそうですか?
26年生きている中で、一番すごいことをしているなって思います。これは「とんでもないことをしてしまっているな」という意味。自信満々に振舞っているように見えるでしょうが、本当は全然そんなことないんですよ。僕が50歳になった時、人生で最初にすごいことをしたのが今の僕だって思うでしょうね。それくらい、僕の人生において今の僕は重要な存在になってしまいました。

この思考に至れたのはONE MEDIAのおかげです。この会社に入るまで、僕にはインターネットの知識はなかった。SNSなんか使わなくても、黙っていい映画を作ればいいと思っていました。だから、こんな出会いを与えてくれたC&R社には本当に感謝しているんです。この会社と出会ってなかったら、『あしきた映画』も生まれていないでしょうね。2019年の公開に向けて、これからも頑張ります。

――篠原さん、ありがとうございました!

作品情報

©あしきた映画製作委員会

『世界は素晴らしい。世界は生きるに値する。』
観た人の人生を豊かにするために映画を撮っています。一言で言うと・・・
『世界は素晴らしい。世界は生きるに値する。』ということを伝えるべく、人生のすべてをこの仕事に捧げると決めたのです。

その一つが、「ゆとりを生み出すことの大切さ」です。時間に追われる人々は、周囲が見えなくなり、時としてそれは大切なものを見失う危険を伴います。
一度、ゆっくり深呼吸する時間として、この映画を観て頂きたいのです。田舎に帰ってみる、家族に会う、お母さんに電話する。
その時間は皆様にとって無駄ではなく、寧ろとても大切な時間なのではないでしょうか。そして、それを芦北という舞台で撮りたいと強く考えています。
私は芦北町で育ち、芦北町から大きなバトンを貰いました。今の私はそのバトンを誰かに渡す番だと感じています。

監督/脚本 篠原隼士
http://www.ashikita-movie.com/