――映画「悪い夏」は、人間と社会の闇を描く衝撃作でありながら、その制作現場は極めて順調だったと監督の城定秀夫は語る。「毎回自信作ではあるのですが、特に今回は、こうすればよかったとか、もうちょっとこうしたかったけどできなかったなといった、後悔や反省がなかったように思います」。クズとワルの思惑が絡み合う破滅劇に、あきれ、ツッコミ、ときに失笑しながら、問わずにはいられない。「自分ならどうした?」。監督・城定の揺るがない視線、そして役者、スタッフへの信頼感が貫かれた、狂瀾怒濤(きょうらんどとう)のサスペンス・エンターテインメントだ。――

約3年かけて丁寧に準備を進めていった

撮影は2024年6月の約3週間でしたが、映画化のお話をいただいたのは2021年頃だったと思います。最初、原作のあらすじだけを見て構えたんですよね。僕は、生活保護の不正受給をテーマにした社会派作品を手がけられるような、世に物申せるほどの人間ではないので。自分はもっとバカバカしくて笑える人間模様みたいなものを描くほうが得意だと考えているのですが、原作をちゃんと読むと、そういったふうにもできるなと感じ、これならやれるかもと思いました。脚本についてはプロデューサーから意見を聞かれ、向井康介さんがいいのではないかと答えました。向井さんは、人間のどうしょうもなさやダメさも魅力的に描ける人だという認識が僕にはあって、近いところで仕事はしていたのですがちゃんとお話したことがなかったので、ぜひ本作でご一緒できたらと思いました。

原作はバットエンドっていうか、後味の悪さが魅力的な小説でもありますよね。ただ、実写化となるとわりと生々しくなっていくということもあって、もう少し救いがあったほうがいいのではないかというのが、当初からプロデューサーの要望としてありました。僕としても、例えば夫に先立たれ生活に困窮する母と幼い息子の描き方には絶対に譲れないところもありました。すごくハッピーエンドにしちゃうと原作の魅力を損ねてしまうし、観終わったあとイヤな気持ちになり過ぎない具合に落とし込めればいいなと、そこのさじ加減が難しくもありました。キャスティングについても、制作陣で相談しながら進めていきました。プロデューサーからアイデアをもらうことが多かったですが、一役決まるごとにみんなで集まって、「では次はどの役にしましょうか」といった感じで一役一役確認し相談しながら、時間をかけて決めていきました。

日々撮影は順調で、苦労した記憶が本当にない

個性的で素晴らしい役者さんがこれだけそろってくれましたので、撮影現場ではどうやったらみなさんを活かせるかということを考えていました。どう演じるかっていうのは、どちらかというと役者さんの仕事だと考えているところがあって、それについては完全に信頼して任せられる人たちでしたので、芝居についてはあまり口を出さず、役者さんの動きを見て、どう撮っていくか、どう活かすかが、僕の仕事だと思ってのぞみました。役者のみなさんは僕の想像以上のものを持ち寄ってきてくれて、日々撮影は順調でした。「こう来るか。じゃあ、こう撮ろう」って、フレキシブルに撮れたシーンも多かったし、発見もたくさんありました。

撮影は埼玉県飯能市を中心に行いました。映画「夜、鳥たちが啼く」(22)で飯能のみなさんと知り合い、大変お世話になったのですが、本作でも本当に協力していただき、河合優実さん演じる愛美の暮らすアパートも、状態や立地も含め普通ではなかなか見つけられない物件を探し出してきてくれました。最後、嵐の中で、アパートを舞台に大立ち回りがあるのですが、雨を降らしてドロドロにしていい場所ってなかなかないんですよね。地域のみなさんの協力あってこそ成立した作品だと思っています。

僕としては、決められた予算と時間の中でいかにいいものをつくるかを一番に考えていて、そこは最低限守んなきゃいけないって気持ちがいつもあります。そういった中で、役者さんやスタッフのみなさんにも力を貸していただくといった感じなのですが、本作の撮影に関してはあまり大きな苦労ってなかったんですよね。ただ、クライマックスの嵐の中での撮影の日が寒くて、役者のみなさんびしょ濡れで、ブルブル震えながら頑張っていただいて、そこはちょっと役者さんには苦労をかけましたが、でも、僕自身は濡れたわけでも寒かったわけでもないし(笑)。なので僕としては、今回は本当に苦労した記憶がないんです。

“夏の暑苦しさ”をいかに強調するか

カメラマンの渡邊雅紀さんはじめスタッフは若い人がとても多くて、みなさん優秀でした。僕は固定スタッフでやりたいといった考えは他の監督よりないかもかもしれません。これまでわりと低予算で撮ってきたので、同じスタッフさんだと同じような感じの作品になってしまうんです。だからスタッフィングに関しては制作会社に、「この作品に合う人、どなたかいませんかね。人間的にも風通しのいい人」みたいな感じで。とはいえ、今回の渡邊氏は僕の指定です。作品に合うと思ったので。

本作で意識したのは、“夏の暑苦しさ”をどうやって強調するかということでした。フレーミングもいつもよりワンサイズかツーサイズ寄りの画(え)を大きく、顔のアップがドンって来るようにしたり、ライティングも強くバキッとコントラストを高くしてもらったり。美術もカーテンの色を毒々しくしてほしいとか、でも具体的に色の指定まではせず、そこはみなさんのセンスに委ねる。あと音に対しても、音圧を高くしてゴソゴソした衣ずれとかも聞こえるように整音をお願いしました。夏のうだるような暑さや鬱陶(うっとう)しさ、不快感を表現できないかというようなことを最初にスタッフさんたちと打ち合わせた上で、それをどう持ち帰ってどんなふうに出してくるかはお任せするといった形です。そこはもうみなさん、得意技を見せてくださいみたいな感じで、役者さん同様、スタッフさんたちも一流ですから、僕が「こうして、ああして」とあまり押し付けないほうが、みなさん、ポテンシャルを発揮できるのではないかと思いました。

ピンク映画の、あの泥臭い感じが好きだった

映画を好きになったのは高校生のときで、その頃が一番映画を観ていたと思います。高校の近くに名画座があって、1,000円で黒澤明監督作品とかが2本立てなんかで上映されていた時代で、古い作品をたくさん観て、日本映画ってこんなに面白いんだって発見があった。それでいろんなものを観ていく中で、日活ロマンポルノやピンク映画に出会い、あの泥臭い感じが好きで、大学卒業後はピンク映画の現場に入りました。毎日、怒られてばかりでしたけど、好きで観ていたピンク映画の仕事に携われるっていうのは嬉しかった。その頃はもう撮影所システムみたいなものがあんまり機能してなくて、「助監督で頑張れば監督になれる」みたいなことではなくなっていた中で、まだピンク映画は3年助監督やれば監督になれるって言われていた業界でした。実は、そこはちょっとだまされた部分でもあるんですけど(笑)、だから僕は4年目ぐらいのときに脚本を書いて、これで監督をやらせてもらえないならこれ以上続けられないって直訴し、わりと強引に監督デビューしました。低予算映画界隈で監督でやっていきたいという人は、脚本を書けないとしんどいと思います。予算がないぶん脚本に左右されてしまう部分はかなりあって、だから自分で脚本に手を入れられる技量がないと、よい作品にならない確率が高くなるという気はしています。

いまアダルト系の作品をやめたわけではなくて、依頼された順にスケジュールが合えば受けさせていただくといった感じで、作品のジャンルや規模で選り好みすることは基本的にはないです。大きい作品だと関わるプロデューサーの人数も増え、より多くの人に観てもらうために自分の趣向を優先させることがすべてというわけにはいかないし、規模が小さな作品だと、実験的に自分のやりたいことに挑戦できるというメリットもある。製作費がないっていうのは不自由ではあるけれど、そのぶん精神的な自由があったりもしますし、作品ごとに各々楽しいとこもあれば辛いとこもあって、僕としては、そのどちらもやらせていただけるなら頑張りますといった感じです。

映画が好きで、頑張る気持ちがある人には、いまがチャンスかもしれない

実は、映像業界はいまものすごくおすすめだと思います。本当に人手不足だし、普通に常識がある人なら、助監督とか制作部とか、深夜ドラマに配信と作品数はすごく増えているし、仕事には困らないですよ。もちろん、監督となるとできるできないはありますが、そうでなければ、とにかく人がほしいので、ちゃんと頑張る気持ちがある人にはチャンスだと思います。監督はそんなにおすすめしませんが、スタッフさんによっては収入も僕より多かったりするし、特殊な技術を持った人ばかりじゃなく、いろんな人に支えられて映画はつくられているので、自分に向いている部署ってあると思うんですよね。少なくとも映画が好きであれば、そこを探して入って数年やれば、一生そこで食べていけるような技術は身につけられると、僕は思います。映像業界はギャラがよくないみたいなことを言う人もいますけど、僕個人の肌感ではまったくそんなことはない。大学出て新卒でサラリーマンやっている人よりも、高卒で映像業界に入って1、2年頑張って、あっという間に稼げるようになった人もたくさんいます。ここ数年でAIに持ってかれるような種類の仕事でもないですし、いい商売なのになって僕は思っているんですよね。

僕がここまで続けてこられたのは、与えられたものを与えられた枠の中で比較的律義にやってきたからだと思います。与えられたものの中からはみ出すことがカッコいいみたいな考えもちょっと昔はありましたが、ある程度キャリアを積んでからは、それって逆にカッコ悪いよなって。やっぱり、おさめてこそ仕事だって気持ちはずっと持っています。いまも、ひとつひとつの作品を、これが最後ぐらいの気持ちではやっています。多少プロデューサーと議論を交わすこともありますが。一番の不安は監督として仕事がなくなることです。ありがたいことに、この先の仕事も入っているんですけど、でもなんか、次があるからいいやみたいな気持ちになることは恐いことなんだという気もしています。

こちらが決めた善悪にはめ込まない

本作での一番の挑戦は、喜劇と悲劇、社会問題、そういったものをどうバランスとって描くかということでした。いろいろ想像したときに、なかなかこういう映画ってないなと思ったんですよね。テーマが社会問題となると、どうしても重くなったり、ものすごく真面目で深刻なものになったりする。もちろんそういう心えぐられる作品もいいのですが、今回、僕が撮るべき、やるべき仕事はそうじゃない。社会問題を扱いながら、エンターテインメントを手放しちゃいけないという思いが僕の中にありました。脚本の向井さんの、「日本の社会構造を皮肉に分析する染井さんの原作の中に初期の今村昌平作品に通じるものがある」って言葉に、「なるほど。そこに向かっていけばいいんだ」と後押しされ、なかなかいまの日本映画にはない重喜劇を目指したつもりです。

登場人物は全員クズとワル ———確かにその通りなんですけど、僕としては、「みんなそれぞれ言い分やその人なりの正義があるんだろうな」と、いつものことなのですが、本作でもそう思いました。「こいつはワルで、こいつは正しい」とか僕のほうで決めないように、それは観た人それぞれのジャッジに委ねられるよう、とにかくフラットな目線で、だれにも肩入れせず、みんなに平等に愛情を注ぎました。そうすることで、登場人物みんなが生き生きしてくると思っていますし、「こちらが決めた善悪にはめ込まない」というのは、作品づくりにおいて、常に僕の中で大切にしていることなんです。

城定秀夫(じょうじょう・ひでお):1975年東京都生まれ。高校時代から映画業界を志し、武蔵野美術大学在学中から8mm映画を製作。卒業後、フリーの助監督として成人映画、Vシネマなどを中心にキャリアを積む。2003年に映画「味見したい人妻たち(押入れ)」で監督デビューし、ピンク大賞新人監督賞を受賞。Vシネマ、ピンク映画、劇場用映画など100タイトルを超える作品を手がける。16年から4年連続でピンク大賞作品賞を受賞。20年公開の映画「アルプススタンドのはしの方」がミニシアター系で大ヒットを記録し、第12回TAMA映画賞特別賞など高い評価を獲得、ヨコハマ映画祭、日本映画プロフェッショナル大賞で監督賞を受賞する。23年の第36回東京国際映画祭で特集プログラム「映画の職人 城定秀夫という稀有な才能」が組まれるなど、多くの制作者、俳優から注目を集めている。主な近作として、映画に22年公開「愛なのに」(監督・脚本・編集)、「女子高生に殺されたい」(監督・脚本)、「ビリーバーズ」(監督・脚本・編集)、「夜、鳥たちが啼く」(監督)、23年公開「恋のいばら」(監督・脚本)、「銀平町シネマブルース」(監督)、「放課後アングラーライフ」(監督・脚本)、「セフレの品格(プライド)」(監督・脚本)、25年公開「嗤う蟲」(監督・内藤瑛亮と共同脚本・編集)、連続ドラマに「なれの果ての僕ら」(テレビ東京/23)、「95」(テレビ東京/24)ほか。
映画「悪い夏」
市役所の生活福祉課に務める、真面目で気弱な佐々木守(北村匠海)は、同僚の宮田(伊藤万理華)から、職場の先輩である高野(毎熊克哉)が生活保護受給者でシングルマザーの愛美(河合優実)に肉体関係を迫っているらしいと相談を受け、真相を確かめようと愛美を訪ねる。その出会いが、裏社会の住人・金本(窪田正孝)、その愛人の莉華(箭内夢菜)、金本の手下の山田(竹原ピストル)、さらに息子と2人きりの困窮した生活から万引きに手を染める佳澄(木南晴夏)らをも巻き込んで、佐々木にとって悪夢のようなひと夏の始まりだった。

出演:北村匠海、河合優実、窪田正孝、竹原ピストル、木南晴夏、伊藤万理華、毎熊克哉、箭内夢菜
監督:城定秀夫
原作:染井為人『悪い夏』(角川文庫/KADOKAWA刊)、脚本:向井康介、音楽:遠藤浩二
製作:藤本款・遠藤徹哉・久保田修、エグゼクティブプロデューサー:藤本款、プロデューサー:深瀬和美・秋山智則・近藤紗良、スーパーバイジングプロデューサー:久保田修、共同プロデューサー:姫田伸也、撮影:渡邊雅紀、照明:志村昭裕、録音:秋元大輔、美術・装飾:松塚隆史、小道具:タグチマリナ、編集:平井健一、カラーグレーディング:稲川実希、VFXスーパーバイザー:鹿角剛、整音:伊香真生、音響効果:小山秀雄、スタイリスト:浜辺みさき、ヘアメイク:板垣実和、助監督:戸塚寛人、制作担当:相良晶
製作:映画「悪い夏」製作委員会(クロックワークス/KADOKAWA/C&Iエンタテインメント)
製作幹事・配給・宣伝:クロックワークス、制作プロダクション:C&Iエンタテインメント
Ⓒ2025 映画「悪い夏」製作委員会
3月20日(木・祝)より新宿バルト9ほか全国公開
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インタビュー・テキスト:永瀬由佳