――2024年8月17日、池袋シネマ・ロサ1館から始まった映画「侍タイムスリッパー」。監督・安田淳一が目指したのは、日本インディーズ界の頂だった。「あらゆる幸運といろんな人の助けがあって、『カメラを止めるな!」(18)の背中がいまちょっと見えてるのかなぐらいです。これで『侍タイムスリッパー』がある程度ヒットしたら、『カメ止め』が奇跡じゃなくて再現性があるということが証明できる。でもそれも運込みってところが面白いんです」。公開から3カ月、上映は338館に拡大され、観客動員数50万人、興行収入は7億円を超えた。――

自力で50館の上映を決める、これは僕の使命でした

映画「侍タイムスリッパー」のヒットをようやく認めるようになってきました。東映京都撮影所のみなさんが格安で協力してくれたり、池袋シネマ・ロサという特殊な映画館、あんだけしつこく応援してくれる特別なお客さんにも恵まれました。本当に幸運でした。ただ僕としては、映画「カメラを止めるな!」(18)をまず目指していたわけで、「カメ止め」は興行収入約30億円なんで、いろんな人に大ヒット、大ヒットって言ってもらってますが、「ありがとうございます」って言いながら、でもまだ大ヒットはしてへんのやけどなって思ってます(笑)。

ロサでの公開早々に松竹さんとTOHOシネマズさんからお声がけいただき、その後すぐギャガさんから配給のオファーをいただきました。ただギャガさんにはちょっと待っていただいたんです。僕は松竹さんとTOHOシネマズさんとの直接交渉で50館ぐらいまでは開けてもらえるんだという実績をどうしてもつくりたかった。ここまでは自力でやっとかないと、配給さんが広げてくれたってことじゃ、あとに続くインディーズ制作者のためにならないと思ったんです。面白い映画さえつくれば大手のシネコンから引き合いがあるという前例をつくりたかった。自分に課したノルマとして上映50館を決める。これは自分の使命だと思ってました。そこからギャガさんに入っていただいて、すぐ100館以上の上映を決めてくれはったんです。

池袋シネマ・ロサにはインディーズ映画を愛し、育てるお客さんがいる

公開をロサ1館から始めたのは戦略としては本当によかったと思います。上映が決まったときにロサの方に言われたんです。「うちのお客さんは3回でも4回でも10回でも観てくれるから」って。「そんな人おるんかいなぁ」って思ってましたけど、ゴロゴロいはりました(笑)。シネコンでかかるまで約1カ月、そこから話題になるまでにさらに1カ月、この2カ月のあいだ、ずっとロサのお客さんがSNSで騒ぎ続けてくれた。ロサにはインディーズ映画を愛し育ててやろうというお客さんがきっちりいてくれるんです。

これだけロサ、ロサ言ってますけど、実はロサには1回も行ったことなかったんです。でもオンライン試写で「侍タイムスリッパー」を送ったら、これは数年に1本あるかないかの作品やから、「インディーズフィルム・ショウ」枠の今年のイチオシ作品として取り上げたいと言っていただきました。で、やるからには大ヒットロングランを目指すと。それこそポスト「カメ止め」の大本命と言われるぐらいの成果をおさめなければ失敗ですと。なんぼハードルあげてくんねん!って(笑)。ロサの番組編成の方からは、「最低でも150席を満席にできないとシネコンは注目しない。ロサの199席を埋めることができればそれは価値がある」とも言われました。ほんまにその通りに転がりました。けど初めてロサの199席を見たときはビビりました。でも初日バン!と入ってくれはって、それからも連日絶賛で。毎日来てくれた190人から150人のお客さんの口コミと、そのうち4、50人がSNSで触れてくれて、それが1週間続いただけでここまで波及効果があるなんて、僕自身驚きました。ロサのネットワークのすごさもあると思います。ワッとならへん作品っていうのは、口コミはあるんやけど数自体少なかったり、レビューも穏やかなんですよ。けど「侍タイムスリッパー」は相当熱かった。「面白かった! みんな絶対観てぇ!!!」って。

映画を劇場で観る楽しみってこれなんや!

2024年6月に本劇場版が完成し、7月にカナダのモントリオールで開催されたファンタジア国際映画祭に参加したんですけど、お客さんがどっかんどっかん笑って、ちょっと主人公が活躍しただけで「よくやった!」って拍手喝采で。映画を劇場で観る楽しみってこれなんや!って再確認しました。それを若い人たちに、「侍タイムスリッパー」で体験してほしいんです。。クライマックスの、高坂新左衛門(山口馬木也)と元時代劇の大スター・風見恭一郎(冨家ノリマサ)の真剣での対決シーンで作為的につくった40秒の間もそのためです。

あの間は、黒澤明監督の映画「椿三十郎」(62)の有名なシーンのオマージュです。僕は高校生のときにテレビで「椿三十郎」を観てびっくりして、これ放送事故ちゃうかなって思った瞬間にバサーって。「椿三十郎」を知らへん人には僕が高校生で受けた衝撃を味わってもらい、知っている人は「これ椿三十郎やんけ! ってことは血がバザーってどっちかが……」って息をのむという。そんな相乗効果を狙ってはいましたが、効果出すぎて、「撮影で真剣使うなんてけしからん!」とお叱りを受ける始末で(笑)。真剣では撮ってません、もちろん竹光ですから。あの2分の対決シーンは、2日で撮る予定が延びて、3日かかりました。撮影中一番みんなで「ああだ、こうだ」言いながら撮った場面です。山口さんもご自身で言われてましたけど、「僕は本物の侍で普段真剣を使っている役で、これが斬られ役になったときは偽物の侍を偽物の刀でやるわけだけど、今度はその偽物の刀を真剣に見せなきゃいけない。もうわけわからん!」って。入れ子構造がややこしすぎるんです。

撮影現場で10何役、ポスター、パンフまで手がける

コストダウンとクオリティ維持のために、僕が、監督・脚本・撮影・照明・編集・車両ほかひとり10何役も務めているんですが、さすがに今回は撮影を他人(ひと)に頼もうと思いました。カメラワークに集中してると、ときどき芝居を見てないことがあって、現場で言ってる「オッケー」はカメラマンとしてで、芝居のオッケーとちゃうときがあるんですわ。今回に限っては山口さんや冨家さんの芝居が的確やったから助けられているケースが多くて、編集してるときに、「山口さん、ええ芝居してはんな」と発見することが多くて。山口さん演じる新左衛門と風見がバーで飲んでるシーンで、僕は「もうちょっとコメディックに」って山口さんに言ったんやけど、わりと静かに地味にやってはったんですよ。これはこれでええかと進めたんですが、編集してたら、顔の表情でめっちゃ微妙な芝居をいっぱいやってくれはってて、おもろいんですわ。こんだけ思い入れを持って素晴らしい俳優さんがやってくれてるわけやから、これは監督に専念してちゃんと芝居と向き合わないと失礼やと、20年くらい一緒にやってるカメラマンさんにお願いしたら、即座に断られました。安田さんを煩わす要素がもう一手増えるだけですからって、これまで全部自分でやってきてるから他人に任せきれないところを見透かされたのか、結局僕がやりました、全部。

パンフレットの文字もレイアウトも僕です。プロのデザイナーさんに頼むと遊びが多くて、このアキもったいない、文字で全部埋め尽くせって思ってしまうから。時間もなかったんですよ。ある方にパンフレットもつくろうと思ってるんですって公開前に話したら、「パンフレット売れませんよ」って言われて、なら後回しでええかって放置してたんです。公開時の唯一のグッズはなんとか間に合わせたクリアファイルだけでした。そしたら初日から「パンフレットないんですか?」ってお客さん続出で。「ちなみにどんなんがいいですかね?」って聞いたら、「字がいっぱいあるのがいい。プロダクションノートがたくさん読みたい」って言われたから、ほな、ちょっと舞台挨拶5回分ぐらいの書いときますわって、その日から僕の苦闘が始まったんです(笑)。別にそんな筆で立つわけでもないねんけど、なんかおもろいこと書かなあかん、全員にまんべんなく陽が当たるようにしないとって、もう大変でした。約1カ月お客さんに催促され続け、期待に応えるために大急ぎで頑張ったんですが、そのわりに誤字脱字がわんさかあるという。もうバージョン3が出たんですけど、やっと整ってきました(笑)。余ったら困るんで初め2万部、追加で1万部、まだ足りんってことで5000部。ようやく赤字も回避できました。パンフレットってほとんど儲けがなくて、これはもうお客さんサービスです。僕らが中学生の頃まで、映画を観たらパンフレット買うって文化ありましたよね。年配のお客さんも多いんで、そういうのもあってみなさんほしがったんじゃないかな。ちなみにポスターも僕がつくりました。もう全部僕です。

お客さんを捉える力はあると思ってます

僕がよくクリエイターに言うのは、みんなクラウドファンディングに頼りすぎ、僕も公開するのに応援を募ったことはありますが、つくるのは自分のお金でつくってくださいってことです。自腹でつくったら、これを回収せなあかんっていう責任に目覚めるから、しっかりお客さんのほうを向くと思うんです。僕は大学生時代にブライダルカメラマンを始めたところからスタートしてるんですが、そのとき師匠に、「カッコいい画(え)を撮るのがプロの仕事ちゃうぞ。お客さんが喜ぶ、ほしい画を撮るのがプロの仕事やからな」って教えていただいた。そこで、お客さんのニーズにフォーカスすることを学んだんです。その後のイベント演出やいろんな映像制作の仕事も、「これお客さん喜ぶかな」ってことばっかり考えてやってきました。演出力なんてそんな大したもん持ってへんと思うけども、唯一、お客さん、もしくはお客さんのお客さんを捉える力はあると思ってます。

実は僕も、ブライダル撮影なんて映像業界の末席みたいなもんやって思ってたこともあるんです。でも親戚の結婚式を撮ってあげたら、まだビデオテープの時代でしたけど言われたんです。「淳ちゃん、あのテープもう1本ちょうだいな。観倒してテープ切れた」って。結婚式のビデオを喜んで観てくれる人は新郎新婦と親類縁者ぐらいしかいいひんけど、擦り切れるまで観てもらえるなんてやりがいあるよなと思いました。いろんな仕事をしてきたけど、その仕事なりの面白さを見つけてやってこれるほうやったし、ユーザー目線でお客さんを喜ばすことが自分の喜びにもなってたから、それが自然といまの映画づくりにも活きているんだと思います。インディーズで撮ってると、どうしても自分がやりたいことが第一で、それで商売になるのが一番幸せやけども、映画は巻き込んでる人が多いしお金もたくさん使うから、これ絶対にペイせなあかんって思ったら、商業的な部分をクリアしてからのあなたの芸術性って気がするんですよね。

大学時代からさまざまなビジネスを手がける

僕は京都の城陽市で生まれ育ちました。幼稚園のときから絵を描くのが好きで、みんながほめてくれるんで、調子に乗って描いていました。手塚治虫さんが大好きで、子供の頃から夢はマンガ家でした。大学ぐらいまではマンガやイラストなんかも描いたりもしてたんですけど、ひとりでずっとやってて辛すぎて、手も痛いしもうあかん、ビデオ撮ってるほうがラクや!ってなってたときに、トドメは大友克洋さんの『AKIRA』です。あれが出たときに「もう無理や、こんなん絶対できへん!」って筆を折りました(笑)。学校の先生には「頭の回転は速いけど落ち着きがない子」ってずっと言われてました。勉強は普通。スポーツは高校まで柔道をやってました。軽量級やったけど優勝したりしてて、中学3年のときは強豪の高校からスカウトが来たこともありました。

大阪経済大学に進み、二十歳ぐらいのときに友だちと8ミリ映画を撮ってたんやけど、お金かかるし、そのわりに音も入ってへんし映像もふわふわしてるしですぐ飽きて、自分の好きなこと、さっき話したブライダルカメラマンや、子供向けミュージカルを企画したり、お店にある公衆電話を10円ピンク電話から100円ピンク電話に切り替えるNTTの代理店なんかの商売をしてました。それが楽しくてほとんど大学に行ってなかったんで、卒業に8年かかりました(笑)。卒業後は、幼稚園の発表会からイベント、企業PVなんかも撮る町のビデオ屋をやっていたんですが、イベントの演出も受けるようになり、演出の仕事がどんどん広がっていきました。僕がやると、例えば1000人のイベントで、ビデオ屋として撮影だけで入ったときは記録DVDが150本ぐらいしか売れないんです。でも僕が演出家として全部やったときは1500本とか2000本売れるわけです。ちゃんと演出をやって、お客さんのニーズに合致したものをコンパクトにまとめると、こんだけちゃうんです。

インディーズ映画への挑戦

イベント演出の仕事がどんどん膨らんでいく中で、プログラムのオープニングに出すアタック映像にショートムービーを撮って流したら大受けしたんです。やけども、そのイベント専用につくってるから、ほかのお客さんには観てもらえないわけです。その頃に知り合った映画監督たちがショートムービーをつくってて、ぱっとせんかったりすんねんけども、でも監督と一緒に自主映画祭とかに行くと、いろんな専門家が真剣にその映画を論評してくれてるんです。それがすごくうらやましくて、自分の勉強のために1本つくってみようと思ってできたのが、37分のショートムービー「SECRET PLAN」です。これが2007年の横浜映像天国で審査員賞と観客賞を受賞して、映像の仕事をやってて、僕の中ではやっぱり映画が一番頂点にあったから、イベントの付属物じゃなく、映画そのものでお客さんを喜ばせたいと思うようになりました。

それで初めてつくったのが「拳銃と目玉焼」(14)でした。2010年ぐらいから撮影を始め、撮影中に東日本大震災が起こって、続けるべきか悩んだんですが、3年かかってなんとか完成させました。それが750万円ぐらいかけて撮って500万円赤字になった。で、ある人に、「ホールや公民館で上映できるような作品つくったら?」って言われて撮ったんが「ごはん」(17)です。連続38カ月いろんなところで上映して、約1万2000人のお客さんが観てくれはって、4年かかったけど、製作費の400万円はペイしました。でも、商売としてはこれあかんなと。その同時期に大ヒットしてたんが「カメ止め」でした。単純にすごいと思ったし、自分の足りんとこに気づけたし、インディーズでもここまで広がるんやっていう発見と喜びをもらいました。

僕は「油そば 味の天徳」(京都四条木屋町店)ってお店もやっているんですが、演出の仕事で新小岩に行ったときに初めて油そばを食べて、「これ美味しいな。京都にはうまいラーメンいっぱいあるけど油そばはないな」と。で、1年間リサーチして京都で出したら、流行りました。油そば屋も初めは赤字やったけど、すぐ黒字になりました。料理、店内の様子、値段とかいろんな要素があるけど、核と思ったものが間違ってなくて、それで結果が出えへんときは、1個1個のクオリティを見つめ直していくんですよ。券売機のセットメニューにも写真入れようとか。1個のクオリティが上がっても結果にそんな影響は出へんねんけども、あらゆる要素1個1個のクオリティを上げたら、それが合わさったときにガラッと結果が出るんです。油そば屋も、イベント演出も、映画もそうです。ただ映画で結果が出なかったのは、各要素のクオリティ不足というより、ターゲット層が狭すぎた。「カメ止め」を観て、お客さんは笑いたい、みんな映画を楽しみたいんだってことがわかって、それをきっちり作品の核に添えたときに、これまで高めてきたいろんな要素と相まって「侍タイムスリッパー」のいまの結果に繋がった。仕事で結果を出すって、全部根底に同じもんがあるような気がします。

関わってくれたみなさんが誇りに思ってくれている

挫折はないんですよね、ほぼ乗り越えてきてるんで。僕、これ飛んでみて死なへんなと思ったら大体飛んでるんで(笑)。挫折はないけど、これまで人生で教えてもらったことは、すべていま活きていると思います。親父には、実家の農家の畑仕事を手伝わされたりしながら、「言われたことをやるんが仕事じゃない。ちゃんと自分で考えて、次の段取りを組んで用意するとこまでが仕事や」って怒られました。小学3年生のときですよ、僕。あと、「物事を中途半端にするな。最後までやりきれ」とかね。大学生のときのブライダルのバイトの師匠の教えもそうです。インディーズ映画をつくって黒字化できひんかったときも、自分自身で調べまくったり、「カメ止め」の成功を見て考えたりもそうですわ。失敗で挫折するんじゃなくって、なんで失敗してんやろ、なんでうまくいかへんねんってことを絶えず自分なりに考えてきた。そこはよかったと思ってます。いまはインディーズ映画を撮っているけど、商業映画の監督を目指したいという人は、まずお客さんのほうを見るしかないんじゃないですか。お客さんが喜ぶものを自分はつくってるかどうかを自問してみる。でもこれはあらゆるクリエイターに言えることだと思います。アマチュアや趣味の世界じゃなくて、プロとして身を立てたいんやったら、お客さんの満足のために自分のスキルや能力を使うんだという意識が絶対に必要だと思います。

「侍タイムスリッパー」の結果を、東映京都撮影所もめっちゃ喜んでくれてます。最初に力を貸してくれた東映京都の名物プロデューサーの進藤盛延さんも、はじめは、「インディーズ映画には名前出さへんのが俺の流儀から」って言ってたんですけど、最近は「名前出したい? まあ、ええか」って(笑)。応援してくれた東映京都撮影所のみなさん、キャスト、スタッフ全員が、「侍タイムスリッパー」に関わったことを誇りに思ってくれています。本当にありがたいです。ただ、ちょっと時代劇は休ませてください(笑)。とにかくいまは、「侍タイムスリッパー」大ヒットに向けて、とことん突き進んでいきたいと思っています。

安田淳一(やすだ・じゅんいち)1967年京都府生まれ。大阪経済大学在学中からさまざまなビジネスを手がけ、本格的にビデオ撮影業を開始。幼稚園の発表会からブライダル撮影、企業用ビデオ、イベント演出、セットデザイン、マルチカム収録・中継など一手に担う。2010年からインディーズ映画製作に挑む。初長編監督作品「拳銃と目玉焼」(14)の劇場公開にあたり宣伝・配給を行う未来映画社を設立、全国6都市でのシネコン公開を果たした。続く「ごはん」(17)は全国5都市のシネコンをはじめ、38カ月間にわたり各地で上映会が開催された。23年に父が逝去し実家の米づくり農家を継ぐ。長編3作目となる「侍タイムスリッパー」は、22年夏から12月中旬に撮影され、23年には大阪・シアターセブン、京都国際映画祭で特別上映された。24年4月に追加撮影を行い、6月に本劇場版が完成。翌7月にカナダ・モントリオール「ファンタジア国際映画祭」で観客賞金賞を受賞。8月17日池袋シネマ・ロサでの公開を皮切りに全国を席巻中。2024年日本映画界最大の注目作として高い評価と話題を集めている。
映画「侍タイムスリッパー」
時は幕末、京の夜。会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)と村田左之助は「長州藩士・山形彦九郎を討て」との家老の密命を受け暗闇に身を潜めていた。姿を現した彦九郎と新左衛門が刃を交えた瞬間、落雷が轟く。新左衛門が目覚めると、そこは2007年の時代劇撮影所だった。助監督の優子(沙倉ゆうの)ら心優しい人たちに見守られ、やがて新左衛門は「我が身を立てられるのはこれのみ」と時代劇の「斬られ役」として生きていくことを決意する。出演:山口馬木也、冨家ノリマサ、沙倉ゆうの
峰蘭太郎、庄野﨑謙、紅萬子、福田善晴、井上肇、安藤彰則、田村ツトム、多賀勝一、吹上タツヒロ、佐渡山順久
監督・脚本・撮影・照明・編集・車両ほか:安田淳一
特別協力:進藤盛延、殺陣:清家一斗、時代衣装:古賀博隆・片山郁江、床山:川田政史、照明:土居欣也・はのひろし、助監督:高垣博也・沙倉ゆうの、音声:岩瀬航・江原三郎・松野泉、アクション指導:垣内博貴、特効:前田智広・上野尊貴・佃光、美術協力:辻野大・田宮美咲・岡﨑眞理、制作:清水正子、装身具:高津商会、協力:東映京都撮影所、宣伝:プレイタイム 南野こずえ
製作:未来映画社、配給:未来映画社、ギャガ株式会社
Ⓒ2024 未来映画社
全国絶賛公開中

インタビュー・テキスト:永瀬由佳