――映画「碁盤斬り」は監督・白石和彌にとって念願の時代劇作品だった。「美しく撮りたい、美しい映画にしたいと思いました。普段はあまりそんなこと考えないのですが」。どれほど落ちぶれようと清廉潔白に誇り高く生きてきた浪人、その胸に棲まう言葉「水清ければ魚棲まず」。丁寧に描かれる、父、主人、他人(ひと)のために義と情に生きる人びとの姿に、制作陣のあふれんばかりの想いを感じる。映画「碁盤斬り」に、日本時代劇に射した未来を思う。――

ずっと時代劇を撮りたかった

映画「碁盤斬り」は脚本を手がけた加藤正人さんの発案です。加藤さんとは映画「凪待ち」(19)でご一緒させていただいたのですが、無類の囲碁好きなんですよ。あるとき脚本家仲間と飲んでいて、「加藤さん、そんなに囲碁が好きなんだったら、落語の柳田格之進やったらいいじゃないですか」って言われて、だれに頼まれるでもなくプロットを書き始めたんだそうです。それで「白石くん、ちょっと読んでくれない?」って僕に声かけてくれた。まだ映画「凪待ち」の公開前だったと思います。僕としては念願の時代劇作品でしたし、なにより加藤さんのプロットが面白かった。不安要素としては、囲碁についてはルールぐらいしか知らない僕が、囲碁の映画を撮って大丈夫かなってところで(笑)。だからすぐに囲碁の勉強を始めました。そこから加藤さんと一緒に脚本づくりを進めていきました。大事な要素は全部そろっていたので、基本的には加藤さんのプロットそのままです。

僕がこだわった部分としてはキャラクターづくりでしょうか。たとえば、國村隼さん演じる萬屋源兵衛が最初は面倒臭い奴だったのに囲碁を通して格之進と親しくなるにつれ人としても成長していくといった感じを入れたらどうかとか。ただラストは、クランクイン直前の最後の脚本直しのときに、加藤さんと一緒に“発見”できたものなんです。実直に生きていた男が、実直が故に疎まれるという話なのですが、舞台は江戸時代だけど現代的なテーマも抱えているし、嘘偽りなく生きてきた男の物語をどう終わらせるかというところで、あのラストを最後ギリギリで見つけられたことはとても大きかったと思います。

草彅さんは最高でした

脚本づくりの最中に、「草彅剛さんが時代劇をやりたがっている」という噂を聞いて、これは柳田格之進あるぞ!と、急いで脚本を仕上げて読んでもらったところ興味をもってくださった。通常キャスティングについてはプロデューサーと相談しながらみんなの合意で進めていきます。ただ本作の主要な役は大体僕が言い出した感じです。草彅さんはもちろん、清原果耶さん(格之進の娘・お絹)、中川大志くん(萬屋の手代・弥吉)、國村さんも。音尾(琢真)は自動的にですし(笑)。

草彅さんは最高でした。あの薄汚れていく感じ、僕はいつも役者をメイクアップでなくメイクダウンさせながら輝かせたいと思っているのですが、それが本当に似合う。こういう侍を撮りたかったんだ!って毎日教えられた気がします。草彅さんは、現場では本当に自然体なんですよ。「昨日、古着屋に行って最高にカッコいい革ジャン見つけたからついつい買っちゃったよ、2着」とかって笑顔で話してて、「草彅さん、お願いします」「はい」って瞬間に格之進になる。あのスイッチの入れ方の凄まじさ。「凪待ち」の香取慎吾さんもそうでしたけど、普通はあんなことできないです。

脈々と受け継がれてきた京都撮影所のすごさ

撮影は京都で2023年2月から4月前半までの約2か月間、行いました。京都の撮影所での初めての時代劇ということで、最初は僕も戦々恐々でした。「こういうカット撮りたいんです」って言っても、「そんなもんいらん!」なんて言われたらどうしようって。でもそんなことはまったくありませんでした。しかも今回は僕たっての希望で、東映と松竹半々でやらせていただきました。僕は両方の撮影所の良さを知りたかったし、両方と関係性を築きたかった。「碁盤斬り」が東映・松竹のいずれの作品でもなかったからこそ実現したことですが、そこはちょっとわがままを言いました。京都のスタッフにも「映画でこんなの初めてだ」と言われましたし、東映と松竹のスタッフが一緒になってひとつの時代劇映画をつくるという、京都のみなさんにとっても刺激的な現場だったと思います。

萬屋は松竹、長屋は東映、吉原の大門と大門につながる橋は東映です。史実ではあんなに大きな橋ではないのですが、ドラマチックにするためにデカくしました。宿場町もそうですが、観光地化したものはありますが、当時の実物はもう残ってないんですよね。だからこそデフォルメも可能だし、アイデアや知恵の見せ所でもある。そこが時代劇の面白いところだと感じました。しかも、実は大門の表の橋は、加藤泰監督の映画「緋牡丹博徒 お竜参上」(70)のときの図面が東映京都撮影所に残っていて、これで行こう!ってことで、その図面を使って同じものをつくったんです。ほかにも「お竜参上」と同じセットで撮った場面もあります。そういうものが残っていて、そんなことができる。歴史ある京都撮影所のすごいところです。

感謝と気遣いとジョーク

僕が現場で気にかけていることのひとつは、主役以外をどう輝かせるか。例えば本作だと、市村正親さんや奥野瑛太くん、小泉今日子さんらを輝かせられるかどうか。もともと主役はカットもたくさん撮るし輝くものなのですが、そういった役者たちが輝けば主役はもっと輝いて、作品も輝きますから。スタッフによく言っているのは、「感謝し合いましょう」といったことでしょうか。それはまず一番に自分自身に課していることでもあって、監督の仕事はスタッフのアイデアを採用すると同時に、同じ量かそれ以上却下することも多い。気分悪く却下するか、気分よく却下するかが重要で、「ちゃんと考えてきてくれてありがとうございます」とまずお礼をしっかり伝えて、次にそのアイデアもらっといていいですかって感じで話します。考えたことは無駄じゃなかったって思ってもらいたいし、そう感じてもらえるよう気遣いを忘れないように努めています。

一緒に仕事したいなと思う人は、愚痴を言わない人、朝、会ったらちゃんと笑顔で挨拶できる人、会うと愉快な気分になれる人とか。気持ちよく仕事したいですもんね。あとはいろんな知識やアイデアを持っている人、それとジョークを言い合える人。ブレスト的にワイワイみんなで話していると楽しいし、そこからいろんなアイデアが出てくる。「いやでも、いま笑ってるけどそれ良くない?」みたいなことってたくさんあって、そういう場ってとても重要なんです。

小学生で映画に出会う

生まれは北海道の札幌です。小学校2年生のときに母の実家のあった旭川に引っ越し、高校卒業まで過ごしました。祖父母が定食屋をやっていて、映画館の人が月に何回かポスターを貼りに来ては招待券を置いていってくれて、それでよく祖母や母に映画に連れていってもらっていました。その映画会社が洋画系だったこともあって、当時観ていたのはアメリカのブロックバスター映画。「E.T.」(82)とか、「グーニーズ」(85)や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85)といったハリウッドの娯楽大作でした。テレビでもよく映画を観ていました。日曜洋画劇場なんかでジャッキー・チェンとか。中学時代はなぜか家にあったビデオで日活ロマンポルノも観て、なるほどこういう映画もあるのかと感心しました。そこから日本映画にも興味を持つようになりました。ドラマはあまり観てなかったのですが、高校時代はトレンディードラマ全盛期だったので少しは観ていたかな、刺さりはしませんでしたが(笑)。

部活でサッカーをやっていたのですが、選手としては強くはなかった。ずっと補欠でした。勉強は高校の途中から完全にドロップアウトしちゃいました。もう映画ばっかり観てしまって。でも学園祭は本当に楽しかった。僕が最初に映画の世界に入ったのは若松孝二監督の現場で、下っ端の助監督としてだったのですが、よく若松さんに怒られたりもしたけれど、要領がいいので覚えも早くて、その後10年ぐらい、若松さんの現場などで仕切り屋をやっていました。自分は段取りがうまいし、現場をまとめるのが得意だってことは、実は高校時代から自覚していました。

映画の現場を目指し二十歳で上京する

高校卒業後は札幌の専門学校で撮影を学びました。でも北海道で就職先がなくて。そんなとき脚本や映画の雑誌で中村幻児監督の映像塾を知りました。週末だけのワークショップのような映像塾で、若松さんや深作欣二さん、崔洋一さんといった監督たちも教えに来ていて、月謝も3万円ぐらいだったと思います。「これだったらバイトしながら通えるし、いいかも」と思い、それで上京し映像塾に通い始めました。あるとき、講義に来ていた若松さんが、現場で人が足りないので手伝える奴いるかって言うので、すぐに手を挙げました。もちろん深作組が募集していても手を挙げたと思いますが、深作監督は東映の監督なので、メジャー映画の現場にはどこのだれかわからない人が入る隙間はなかっただろうし、人にも困ってなかったと思う。でも若松さんは独立プロでピンク映画をやっていた経緯もあるから、雑食性でなんでも食べちゃうようなところがあった。だから僕みたいなものにもチャンスがあったんだと思います。

若松さんからはいろんな影響を受けましたが、一番大きいのは、「権力の側から描くな」ということです。だから僕は弱い人や虐げられた立場にいる人からの目線を大切にしています。そこはずっと、いまも変わらずです。逆に、若松さんを反面教師にしていることもたくさんあります。映画を撮るということにおいては淡白でしたから。もっとカットを重ねたほうがいいものが撮れるのに、せっかちだから我慢できないんです。でも、じゃあ僕が若松さんと同じ撮り方をして、若松さんと同じエネルギーの映画つくれるかとなると、絶対につくれない。それがすごいんですよ。そこは若松さんを真似できないし、真似しちゃいけない。だからちゃんと丁寧に、僕は僕のやり方で撮ろうと思っています。

ずっと映画に救われてきた

映画「碁盤斬り」にとって、美術監督の今村力(つとむ)さんの力は大きかったです。今村さんは京都の撮影所での実績があるし、それこそ深作さんらともやっているので京都のことを知り尽くしていました。だから京都でできることできないことがはっきり見えたし、こんなものもつくれるんだ!ってことも多々あった。僕は今村さんが66、7歳のときに出会って、長編デビュー作の「ロストパラダイス・イン・トーキョー」(10)からずっとご一緒させていただいているのですが、いつも「80歳までは仕事してくださいね」って話していたんです。で、僕には「それまでに今村さんと一緒に京都の撮影所で時代劇を撮りたい」というのがあって、ひとつの目標でした。だからギリギリセーフでそれが実現した。今村さんは「碁盤斬り」をいろんな意味で大きくしてくれました。「碁盤斬り」を手がけたことで僕自身にも変化がありました。新しい企画を時代劇でしか考えなくなった(笑)。それほど時代劇は魅力的でした。まず、作劇がシンプルなのがいい。決して良いことではないけれど、生きている世界に当たり前に身分制度があって、差別もあって、それは現代も同じではありますが、その不条理がはっきりしているから物語がつくりやすいんです。LINEとかもないですし。ああいうの本当面倒臭いんですよ(笑)。

東映も松竹のスタッフも「来てくれてありがとう。また時代劇やってやー」って言ってくれました。真田広之さん主演・プロデュースの「SHOGUN 将軍」(ディズニープラス配信)だって、俳優としてあれだけ実力のある真田さんがアメリカに渡って相当の苦労の末に実現させた圧巻の作品ですが、「ハリウッドで撮るんだ……切ねぇな」って思いますよ。まだギリギリ時代劇の撮影所もスタッフも残っています。なくなってしまったら取り戻すのは大変ですから、日本の時代劇を絶やさないよう頑張っていきたいと思っています。苦しいときや行き詰まったときは気分転換したりしますが、でもやっぱり映画でした。気の向くままに観たり、好きな映画を観直したり。だから僕はずっと映画に救われてきたんです。僕が戻る場所、居場所は映画しかないと思っています。あとは深呼吸。映画「PERFECT DAYS」(23)の役所広司さんみたいに毎日空を見上げて(笑)。いやでも単純に、意外とそういうことからなのかもしれないと思ってます。

白石和彌(しらいし・かずや)
1974年北海道生まれ。1995年から中村幻児監督主催の映画塾で学び、講師だった若松孝二監督と出会い師事する。その後、行定勲監督、犬童一心監督等の作品に助監督として参加。2009年に映画「ロストパラダイス・イン・トーキョー」(監督・共同脚本)で長編監督デビュー。2作目となる「凶悪」(監督・共同脚本/13)で第37回日本アカデミー賞優秀作品賞・監督賞ほか各映画賞を総なめし一躍注目を集める。ブルーリボン賞監督賞をはじめ受賞歴多数。主な作品に、映画「日本で一番悪い奴ら」(16)、「牝猫たち」(17)、「彼女がその名を知らない鳥たち」(17)、「サニー/32」(18)、「孤狼の血」(18)、「止められるか、俺たちを」(18)、「凪待ち」(19)、「ひとよ」(19)、「孤狼の血 LEVEL2」(21)、「死刑にいたる病」(22)、「渇水」(企画プロデュース/23)、ドラマ「火花」(Netflix/16)、「フルーツ宅配便」(テレビ東京/19)、「仮面ライダーBLACK SUN」(Amazon Prime Video/22)ほか。
映画「碁盤斬り」 
浪人・柳田格之進は身に覚えのない罪をきせられた上に妻も喪い、故郷の彦根藩を追われ、娘のお絹とふたり、江戸の貧乏長屋で暮らしている。しかし、かねてから嗜む囲碁にもその実直な人柄が表れ、嘘偽りない勝負を心掛けている。ある日、旧知の藩士により、悲劇の冤罪事件の真相を知らされた格之進とお絹は、復讐を決意する。お絹は仇討ち決行のために、自らが犠牲になる道を選び……。父と娘の、誇りをかけた闘いが始まる!
出演:草彅剛、清原果耶、中川大志、奥野瑛太、音尾琢真、市村正親、斎藤工、小泉今日子、國村隼
脚本:加藤正人、音楽:阿部海太郎
製作総指揮:木下直哉、エグゼクティブプロデューサー:飯島三智・武部由実子、プロデューサー:赤城聡・谷川由希子、ラインプロデューサー:鈴木嘉弘、協力プロデューサー:根津勝、撮影:福本淳、美術監督:今村力、美術:松﨑宙人、照明:市川徳充、録音:浦田和治、装飾:三木雅彦・上田耕治、編集:加藤ひとみ、音響効果:柴﨑憲治、キャスティング:田端利江、VFXスーパーバイザー:小坂一順、衣裳:大塚満、メイク床山:山下みどり、スクリプター:中須彩音、制作担当:相場貴和、助監督:松尾浩道
製作:木下グループ・CULEN、企画:フラミンゴ、制作プロダクション:ドラゴンフライエンタテインメント、配給:キノフィルムズ
Ⓒ2024「碁盤斬り」製作委員会
5月17日(金)TOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー

インタビュー・テキスト:永瀬由佳