深夜番組で流れた独特な世界観を持った映像。日本CGアニメーション界の第一人者・富岡聡の作品が、渡辺祥二郎をものづくりの世界に導いた。
僕は高校も中退してますし、不良と呼ばれた時期もあったせいか、礼儀がまったくなってなかったんです。だから『言葉遣いが直らなかったらクビにする』と、最初に富岡さんに言われました。
プロとしての始まりはそんなものだ。
いま富岡さんと同じ場所でやっていますが、一緒に仕事をしているという感覚はまだ持てません。僕は学生時代にCGや映像制作を基礎から入念に学んで、できる限りいろんな経験も積んできたつもりでしたが、現場のレベルは僕のそれとは比べものにならないぐらい高かった。
富岡さんにはいつも、『絵心が足りないから、ひたすら絵を描きなさい』って言われていて、僕はいまでも休日に、新人スタッフの研修に交じって練習しているんです。
あこがれや想いが夢をかなえ、かなった夢にまたもがき苦しむ。それでも、「好き」と「すごい」と思えるものだからやれる。
渡辺祥二郎は、まさにそんなものづくりの世界のど真ん中にいる。
■ 14歳で“夢”に出会った
ものづくりに目覚めたのは中学2年生、14歳のときです。テレビ朝日で深夜にやっていたCG作品を特集した「D’s Garage21」という番組で富岡さんの作品を見て、ガツン!ときた。
ちょうど、映画「GODZILLA」(98)や「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」(99)なんかを見て、「CGでこんなことができるんだ」って思っていた時期で、そんなときに富岡さんの作品に出会い、「コレだ!」って感じました。富岡さんの作品は、キャラクターも演出も色使いもとにかく個性的で、一気に心をつかまれました。
それで母親に土下座してお願いし、パソコンとCG制作ソフトのShadeを買ってもらい、独学でCGをつくり始めました。完全にアマチュアレベルでしたけど、それでもだんだんいろんなものがつくれるようになってきて、高校に入る頃までは熱中してやってました。
中学2年生までは成績も良くて、学級委員長をやったりもしていたんですが、同時期に酷いイジメにあって、そのあたりから僕は道を踏み外すんです。高校時代は生活が荒れてCGどころではありませんでした。
高校3年生のときには家を出てひとり暮らしを始め、日中に学校に通い、夜はバイトして、という形態をとっていましたが、生活費を稼ぐためにバイトに一生懸命になってしまい、勉強はおろそかになっていくし、とうとう学校にもあまり行けなくなってしまいました。
だんだん追いつめられ、家からも出られなくなり、ひどくふさぎこんでしまうような出来事がたくさんありました。そこでようやく目が覚めたんです。「このままじゃダメだ」って思って、大学入学資格検定を取り、高校を中退して、実家に戻りました。「やっぱりCGをやりたい!」・・・・・・どうせなら死ぬ気で生きてみようと決めたんです。
■ 才能のない人間だから、努力しかないんです
もう夢を見失う心配もないし、実家の近所には日本工学院もある。これでCGの勉強ができると思いました。実は高校時代もつくってはいなかったんですけど、ずっと映画は見ていたし、富岡さんの作品集も何十回も見たりしていたんです。現実生活がうまくいかないと、デジタルや映画といった世界に入り込みやすいところはあると思います。そういった意味では、あの苦しかった時期に、ものづくりへの想いが助長されたような気もします。
それで日本工学院のコンピュータグラフィックス科3年に入学しました。Mayaは始めてでしたが、CGの知識はあったので大きな戸惑いはありませんでした。工学院時代はすっごく楽しかったです。ひたすらCGクリエイターを目指して夢中でやっていたし、やっと自分と向き合えたという手ごたえもありました。
だけど、同級生にはとても感覚的に秀でた人もいて、嫉妬(しっと)しましたね。彼らはすごく緻密(ちみつ)で美しいCGをつくり、静止画として展示できるレベルまでもっていけるんです。だけど僕は造形的にすぐれたCGをつくることが苦手で、むしろいかにCGを動かすか、どれだけキャラクターに命を吹き込めるかといったことに興味があったんです。それでとにかく演出力をつけようと、絵コンテの描き方から、カット割り、カメラの動き、編集といった映画やPVを撮るための基本的なルールを学び、ムービーを構築していくといったことをやりました。あとはだれよりも長くパソコンに触っている。僕は才能のない人間なんです。だから努力するしかない。勉強でカバーできるだろうことは全部やったつもりです。気づいたら、彼らとは全然違う場所に立っていました。才能のある人に追いつきたい、僕なりの強みを持ちたいともがいた結果、アニメーターとしての力が磨かれていたんです。
■ ここで終われば、すべてが終わる
在学中にCGプロダクションの幻生社で、CGアニメーターとして働かせてもらえたことも良かったんです。当時、幻生社が受け持つアニメーションの授業があり、課題を提出して上位数名がアルバイトに採用されるという企画があったんです。それで社長の菅野(嘉則)さんに声をかけていただきました。
一番学んだのはプロ意識です。学校でひとりでつくるのと、仕事として会話を密に、コンセンサスをとりながらつくるのとでは全然違う。やっぱり現場を踏んで初めてわかることも多いし、厳しかったし、学校との兼ね合いで本当にキツかったけど、幻生社での経験がなかったら僕のいまはなかったと思います。
アルバイトや作品づくりで忙しく、就職活動を始めたのは卒業直前でした。実は、カナバングラフィックスは記念で受験したんです。実際に面接で富岡さんを目の前にしたときには緊張しました。頭が真っ白になっちゃって生意気なことばかり言ってしまい、大失敗でした。だから内定をいただいたときはびっくりでした。「夢がかなっちゃった・・・・・・」って。
もちろん受かってからは大変でした。僕は『ウサビッチ』のSEASON3から参加させてもらったんですが、モデリングも、テクスチャーもアニメーションもレンダリングもコンポジットも、一通り全部ひとりでやらされたんです。プレッシャーの塊でした。間に合わない、求められたクオリティーは出せない・・・・・・、もうダメだなんてレベルじゃない。「捨てないで! 捨てないで!」って必死でした。
『ウサビッチ』(06ほか)
ロシアの監獄で服役中のウサギ、キレネンコとプーチン。満喫の収監ライフ、脱獄、怒濤(どとう)の逃亡劇、因縁のロシアンマフィアとの激闘と3シーズンに渡って放送された大人気アニメーション。
監督・原作・脚本・絵コンテ・アートディレクション=富岡聡
原作・キャラクターデザイン=宮崎あぐり
それでも、すごく幸せだと思っています。工学院の同級生の多くは、卒業後CGをやめてしまっています。だけど僕は何があってもやめられない。ゴールだと思っていたあこがれの人の下で最初からやれているんだし、それにここで終わっちゃったら、僕のすべてが終わるんです。だから折れそうになることはあるけど、折れてしまうことはない。
いま、新作『やんやんマチコ』にかかっています。富岡さんの作品に自分の名前がクレジットされているなんて本当に光栄です。入社して3年たっても、富岡さんへのあこがれと尊敬は消えない。それだけ富岡さんが上にいるということです。力の差があり過ぎて、それがすごくプレッシャーです。でもだからこそ早く片腕になれるよう、日々精進です。
『やんやんマチコ』(09~)
ヒツジのマチコは二十歳の夢見る乙女。 マチコと隣人たちが繰り広げるほんわかドタバタコメディー。カナバングラフィックスオリジナルアニメーション最新作。
原作=西村朋子
監督=富岡聡、西村朋子
脚本・絵コンテ・動画コンテ・アニメーション監督=富岡聡
第1話「ボーボーやん?」
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