一般的にカメラマンと言うと、長い下積みで技術を磨いてから独立するというイメージがあります。しかし今、独学でフリーランスカメラマンとしてスタートし、わずか2年で日本で唯一の写真年鑑『プロカメラマンFile』に選出された若手カメラマンが、写真業界で注目を集めています。
大阪を拠点にフリーランスカメラマンとして活躍する、小野友暉(この ゆうき)さん。
商業カメラマンと、写真家としての自主制作活動の両立。自身が立ち上げたコミュニティ、「関西写真部SHARE」の代表など、異色のキャリアを持つ小野さんに、日本のカメラマンを取り巻く現状や、これからのカメラマンに必要なスキルを伺いました。
小野 友暉(この・ゆうき)
鹿児島県出身。大阪を拠点にアパレルや料理写真などの広告カメラマンとして活動。また写真家としても個展の開催や写真集制作など行う。
自身が立ち上げたコミュニティから発足した、月間25万PV(※2020年3月時点)のWEBメディア関西写真部SHARE代表を務める。
年鑑書籍『プロカメラマンFile』に3年連続掲載。「関西苗場2018」レビュアー賞受賞。
関西で活動する写真部。SHAREというグループ名には文字通り「分かち合う」という意味があり、「写真を通じてたくさんの出会いや繋がりを作る」をコンセプトに、様々な楽しい企画を実行している。リンクはこちら
最初はカメラマンを目指していなかった
カメラマンになったのは、趣味で写真展を開催するために立ち上げた、関西の写真好きコミュニティ、関西写真部SHAREがきっかけでした。
コミュニティ活動をスタートすると同時に、同名のメディアを通じて活動報告をしていくうちに、ちらほらカメラマンとしてご依頼をいただくようになったんです。
ところが、当初僕は、写真家として「自分の作品を撮っていきたい」という思いが強かったので、商業写真などのクライアントワークで稼ぐカメラマンは目指していませんでした。
そこで、親交があった芸術家の方に「自分は写真家としてやっていきたい」ということを相談すると、「君が撮っているのは商業写真だ。写真家かカメラマンか、道を絞ったほうがいい」とはっきり言われたんです。
その言葉がきっかけになり、写真家とカメラマンを両立している人が身近にいないということに気がつきました。
――その気づきから、写真家とカメラマン、二つのキャリアの両立を選ばれたんですね。
はい。ひとつは、関西写真部SHAREのメディアで写真に関する情報配信をしていたことが大きかったです。あまりお金にならない創作活動をしている写真家が配信するのと、プロのカメラマンが配信するのとでは信憑性が違うと思ったんです。
それともうひとつ、写真で食べていきたいという夢を持つ若い方の後押しをしたかったのもありました。
当時関西ではフリーランスのカメラマンというスタイル自体珍しく、まして写真家とカメラマンの両軸で成功している人がいなかった。
カメラマンや写真家を目指す若い方に、こういう生き方もあるということを等身大で発信していきたいと思いました。
「石の上に三年」は古い。「独学2年」で実績を積んだ
――小野さんは、まったく別の業界から、独学で2年で日本で唯一の写真年鑑『プロカメラマンFile 2018』などにも選出されるプロカメラマンとして活躍されています。プロのもとで修行を積んでカメラマンになるという選択をしなかったのはどうしてでしょうか。
僕、古臭い考え方があまり好きじゃないんです。「石の上にも三年」じゃないけど、誰かの弟子になって何年か修行をすれば、独立するときにいいスタートが切れるでしょう。
でも、カメラマンになるために絶対に修行が必要かと言われればそうではなくて、修行を積まなくても、カメラマンと名乗ってお金をいただいていればプロのカメラマンと言えます。
自分が独学でプロカメラマンになることで、「なんとなく修行を積めば安心」というような常識を壊してみたかったんですよね。
――カメラの技術は現場に飛び込んで磨かれたのですか?
技術的な部分は、教本を読んで後から身につけていきました。最近のカメラは性能が優れているので、言い方は悪いのですが誰でもすぐきれいに撮れてしまうんです。裏を返せばその分、プロカメラマンの世界では差別化が厳しくなってきている。
プロとしての差別化で必要になるのは技術力ではなく、クライアントへの提案力やセルフブランディングだと思っています。
――現場で提案力やセルフブランディングの重要性を学ばれたことが、現在の活躍につながっているということでしょうか。
そうですね。実は、カメラマンの仕事ってピンキリなんです。ひと通りの仕事を経験して気づいたことは、提案力やセルフブランディングがしっかりしているカメラマンは、ただ写真を撮るのではなく、商品の見せ方などのディレクションを一から任されているということでした。
そこで僕も、ディレクションから携われるカメラマンを目指し、提案力やセルフブランディングを磨いたんです。
実際に、現在ビジュアルを手がけているアパレルブランド、「USEDを拡張する進化型古着屋“森”」の撮影では、モデルの見せ方やロケーションなど、一からディレクションを任せてもらっています。
僕のカメラマンとしての提案力や、アーティストとしての表現力をトータルで評価していただいているという点で、「USEDを拡張する進化型古着屋“森”」は理想的な仕事の一つですね。
――カメラマンと写真家という両軸での活動がセルフブランディングに活きているのですか?
はい。僕は写真を音楽に例えることが多いです。たとえば、「クライアントのオーダーに高いクオリティで応える」カメラマンは、カラオケで上手に歌を歌う人だと思っています。
一方、「自分独自の表現を突き詰める」写真家は、路上でオリジナル曲を歌っている人。音楽の幅と同様に、方向性を決めた方が仕事が得られやすい一方で、戦えるステージは狭くなります。
僕の場合、カメラマンと写真家、どちらにも絞らないことで、クライアントのオーダーに応える表現の幅を提案できているのだと思います。
他にも、カメラマンとしてのブランド力を上げるという視点で言えば、WEBや印刷の知識、レタッチやデザインの技術まで幅広く持っているということも重要ですね。
現代の写真業界を取り巻く環境は多様化しています。カメラマンは、PCやスマホ、ホームページやSNSなど、どの媒体でどのようにアウトプットするかまで統合的に考えられるようになる必要があると思います。
大阪はアートに関して遅れている、その逆境をチャンスに
――運営されているコミュニティ、関西写真部SHAREはどのような思いで立ち上げたのでしょうか。
「写真を通じてたくさんの出会いや繋がりを作る」というコンセプトの下、立ち上げました。僕が常日頃思っているのは、「人生は運。運とは出会い」ということ。
フリーランスのカメラマンというと、一般的に技術がものをいう世界だと思われがちなのですが、実際は人間的な魅力を伸ばした方が一緒に仕事をしたいと思ってもらえます。では、人間的な魅力はどのように作られるか?それはやっぱり出会いだと思います。
僕自身、いい出会いによって人生がより良い方へ変わってきました。カメラマンや写真家を目指す人はもちろん、様々な人が関西写真部SHAREでの出会いを通じて人生をより楽しんでほしいという気持ちで運営しています。
――現在、関西写真部SHAREのメディアは月間25万PVあるということですが、メディアが大きくなったことで出会いが広がった実感はありますか?
それはありますね。メディアの運営者にしか来ない仕事のオファーはもちろん、撮影会のために募集したモデルやメイクアップアーティスト、スタイリストさんなど、多くのクリエイターの方と知り合うこともできました。
この出会いがきっかけで立ち上げたのが、関西のメイクアップアーティストやカメラマンが集まり世界進出を目指すポートフォリオサイト「Rouges」です。
関西で活動している若手のメイクアップアーティストは、世界を目指したくても実績づくりの場に恵まれていません。
そこで、関西写真部SHAREでモデルや衣装、スタジオを用意し、メイクアップアーティストたちがメイクを担当。
コミュニティに入っているカメラマンたちが作品撮りをすることで、若手のクリエイターたちが協力し合って一つの作品を作り上げ、自分たちの実績としてポートフォリオをまとめ、SNSなどで発信しているんです。
実際に、Rougesでの活動実績がきっかけのひとつになり、海外での仕事を掴んだメイクアップアーティストもいるんですよ。
――小野さん自身は鹿児島県のご出身でいらっしゃいますが、クリエイターにとって仕事の多い東京ではなく、大阪を拠点に活動されていることにはどんな意味があるのでしょうか?
単純に、大阪が好きで永住したいという気持ちが根源にありました。加えて、大阪は若いクリエイターやアーティストの輩出に関して、東京や京都よりもすごく遅れているという実感があったんです。
先ほどお話ししたRougesのようなクリエイター集団にしても、東京には何年も前から似たようなクリエイター集団が存在しています。
さらに、若いアーティストの制作活動を金銭面や体制面で支援する財団も、大阪の場合は東京や京都に比べて極端に少ない。
しかし、クリエイターやアーティストの育成が遅れているということは、逆に拡大していける可能性があるということです。
――大阪で若いクリエイターやアーティストを育成する、最初の一歩を踏み出されたんですね。
はい。大阪、ひいては日本中のクリエイターやアーティストの育成をサポートし、カメラマンや写真家の現状を変えていくことが目標です。
そのためには、まず情報開示と仕組みづくりが必要だと思います。たとえば、カメラマンに憧れる人は多いけれど、純粋にカメラマンだけで食べていける人は一握りです。
多くのカメラマンは、日雇いの撮影案件をこなしているうちに、あっという間に年月だけが過ぎてしまう。
こうした現状を若い人に知ってもらい、カメラマンが適正価格で仕事を受けられるようになる仕組み作りから携わっていきたいと思っています。
――大阪の若いクリエイターやアーティストを盛り上げていくために、今後力を入れていきたい活動を教えてください。
2025年の大阪万博に向けて、関西のフリーランスクリエイターを集めて、大阪を盛り上げていくチームを立ち上げました。
海外で万博が開かれると、万博会場だけでなく街全体をエンターテイメントで彩って盛り上げるんですよね。僕たちも、大阪の街全体に面白いことを仕掛けて大阪を世界にアピールしたいと考えています。
成功事例より失敗談を
――最後に、フリーランスのカメラマンを目指す若い方にアドバイスをいただけますか?
ひとつは、どんどん失敗してそこから学んでくださいということ。僕自身、食べるものに困って号泣するようなドン底の生活を味わって今ここにいます。
人生を振り返ると、99回失敗して、たった1回の成功を掴んだようなもの。周りが思う以上に多くの失敗を繰り返しましたが、その1回がよく見えるだけなんです。
そもそも失敗=悪いという考え方自体、捨ててしまって良いと思います。失敗しない人なんていないし、失敗しないことには前進できません。
そして、もし目標とする人から話を聞く機会があるのなら「成功事例」より「プロセスや考え方」を学ぶと良いと思います。
先人の「プロセスや考え方」を自分自身の経験に活かすことで、結果としてカメラマンとして食べていくことができるようになります。
特に今は好きなことを仕事にできる時代。カメラマンも副業や兼業からスタートすることができます。
結果ばかりを先に求めるのではなく、まずは小さなことから行動することで、より良い結果は必ずついてきます。z
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インタビュー・テキスト:原田さつき/撮影:関西写真部SHARE/企画・編集:田中祥子(CREATIVE VILLAGE編集部)