――世界は多くの作品で満ちている。それを生み出すあまたのつくり手たち。そのなかで、独自のエネルギーを放つ人たちがいる。なぜつくることをあきらめなかったのか、現場に立ち続けるには何が必要なのか、どうすれば一歩でも次のステージに進むことができるのか。CREATIVE VILLAGEでは、最前線を走るトップクリエイターたちに作品、つくり手としての原点、そしてこれからを問う――

クライマックスの世界タイトルマッチのファーストシーンの撮影で、監督・瀬々敬久は俳優たちのあまりの迫力にカットをかけ忘れた。そんな神々しいまでの本気がぶつかり合う現場からうまれた映画「春に散る」。その魂をかけた戦いを目の当たりにした人はきっと思いを巡らす。あの切ないまでに美しい満開の桜を見るときのように、自身を上向かせてくれる何かの存在に。

瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)
1960年大分県生まれ。京都大学在学中より自主映画を製作する。89年「課外授業 暴行」で監督デビュー。90年代はピンク映画界で活躍。その後、映画「MOON CHILD」(03)、「感染列島」(09)、テレビドキュメンタリーなどさまざまに活躍。映画「ヘヴンズ ストーリー」(10)でベルリン国際映画祭批評家連盟賞とNETPAC(最優秀アジア映画)賞、「アントキノイノチ」(11)でモントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門イノベーションアワード、「64 -ロクヨン- 前編」(16)で日本アカデミー賞優秀監督賞等受賞多数、次々と話題作を手がける。主な作品に、映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」(17)、「友罪」(18)、「糸」(20)、「明日の食卓」「護られなかった者たちへ」(21)、「とんび」「ラーゲリより愛を込めて」(22)ほか。

人生が変わるほどの影響を受けた

僕は若いときからずっと沢木耕太郎さんの小説が好きで、最初に読んだのは『テロルの決算』。確か18歳か19歳の頃でした。横浜流星くん演じる翔吾の「いましかないんだ」というセリフは『テロルの決算』に書かれている言葉です。僕のその後の人生を決定づけるほどの影響を沢木さんの作品から受けてきましたので、プロデューサーの星野秀樹さんから小説『春に散る』を渡され映画化の話をいただいたときは、ここまでやってきた甲斐があった、歳取ってよかったと思いました。しかもボクシングを描いた小説ということで、沢木さんの『一瞬の夏』も夢中で読んでいましたし、あとボクシングといえば「あしたのジョー」です。当時は小学生でしたがもう大好きで、マンガ本も全20巻そろえるほどのファンでした。

ボクシング映画で印象深いのは、「どついたるねん」(89)です。主役のボクサーを演じた赤井英和さんは本当のプロボクサーで、試合で意識不明の重体となり緊急手術を受ける場面や、再起不能と言われながら復活を目指すという、実際に赤井さんが経験した現実とフィクションが混ざりあったような迫力に圧倒されました。なによりそれを阪本順治さんが監督デビュー作として手がけたというのが、僕にはセンセーショナルでした。当時僕は29歳で、ちょうどピンク映画で監督デビューした年でしたから、ショックでしたね。原宿にあったドーム(移動映画館)で上映されていたのですが、その日は雨で、観終わって外に出たら、荒戸源次郎さんと阪本さんのふたりが立っていて、お客さんの入りの様子を見ていました。その姿を横目で見ながら、すごいボクシング映画を撮ったということだけじゃなく、自分と同世代の同じ新人監督がとんでもないことをやってのけているという、なにもかもが衝撃でした。

スタッフ全員が演出家なんです

本作で難しかったのは、やはりボクシングの試合シーンです。翔吾のボクサー復帰戦となる川島戦、そして東洋太平洋タイトルマッチ、さらに世界タイトルマッチと3つの試合があるのですが、世界戦では本当のトップレベルの試合を見せないといけないし、同時にそこに向かってドラマ感も盛り上げていかなければいけない。ボクシングの試合と人間ドラマをいかに融合させ、クライマックスに向けて頂点にもっていけるかが、大きな挑戦のひとつでした。

僕は現場で俳優さんにあまり細かいことは言わないようにしています。心持ちや気持ちの動きをそんなに説明することはなく、こうやって動いてくださいという動きの導線だけを伝えて、そこから始めていくといった感じです。じっと座って会話するだけでは面白くないし、動くことで感情が現れるというか、映画って俳優さんたちが動いてなんぼというところがあると僕は思っていますので。それと非常に大事なのは衣装合わせだと思っています。役者さん本人も僕らも、これで役の人物になったと思える瞬間まで衣装合わせができるかどうか。俳優さんも衣装を合わせていくなかで役に近づき、衣装を着ることによって役をつかんでいくように感じます。外見、見た目というのは本当に大切で、そこから内面が生まれてくることもありますから、僕の映画づくりには衣装合わせがとても重要なんです。

同じく大切なのが、登場人物たちが生活する場所や居る空間です。住んでいる場所や、例えば映画「ラーゲリより愛を込めて」(22)だったら収容所といった「場」を、どうやって美術部や制作部と一緒になってつくれるかです。それができていれば、衣装を着た俳優さんたちはその「場」に立てば、こんな感じでやればいいんだと直感ですべてつかんでくれます。口で説明するより、実際に現場に立ってもらうほうが早いってところがあるんです。だから僕たちには、衣装合わせを含め場づくり、演じるための「ガワ」をどういうふうにつくっていくか、どこまで環境を整えられるかが一番重要で、すでに演出が始まっているというか、そこからなんです。役の性格から暮らしぶり、部屋に置かれた小物や装飾に至るまですべてにこだわって、役を理解しながらスタッフと協力してみんなで考えながらやっていく。だから僕だけが演出しているわけではなく、いわばスタッフ個々人全員が演出家なんですよね。僕は映画というのはそういうふうにつくられていくものだと思っています。

生き方と戦いのスタイルが交わる、格闘技はそこが面白い

ボクシングシーンは数々のボクシング映画の監修をされている松浦慎一郎さんにお願いしました。本作はボクシング映画のなかでもボクシングシーンが多いほうなのですが、シナリオを読んで松浦さんが動きを決めていき、その反復練習を俳優さんたちはひたすらずっとやっていくわけです。動きをつけるにあたり松浦さんは、「この人はこういうボクサータイプが合っている」と俳優さんの個性に合わせて手を決めていってくれる。例えば、横浜くんの芯の強さがそのまま翔吾のファイティングスタイルにつながっているといった感じです。以前「菊とギロチン」(18)という女相撲一座の映画を撮ったときは日大相撲部に指導をお願いしたのですが、そのときのコーチも同じでした。女力士を演じる俳優さんのしこを踏んでいる様子やすり足の具合を見たり、軽く相撲を取らせてみて、この人はこういう相撲のタイプが似合うからこの技を覚えてくださいといった感じで動き決めていくんです。生き方と戦うスタイルが交わるところがあって、そこをしっかり見て動きをつくり上げていくことで個性的なボクサーや力士といった登場人物が立ち上がり、個性と個性のぶつかり合いのようなリアルな戦いが実現する。格闘技というのはそこが面白いんです。

ボクシングシーンの撮影は大変でした。ヘトヘトになりました(笑)。もちろんやっている俳優さんたちのほうが僕らよりはるかに大変なのですが。最後の世界戦に至るまでの人間ドラマ、そしてクライマックスの世界タイトルマッチはすさまじいものになっていると思います。想像を超えた俳優さんたちの気迫に、僕自身撮影現場で「これはすごい!」と思いながら撮っていました。その迫力を一瞬も逃したくなくて、1試合ごとにカメラを増やし、世界タイトルマッチは3台で追っています。絶対にいいものになっていると確信しています。ぜひ注目して観ていただきたいし、先ほども言いましたが、人間ドラマとボクシングの試合が融合して頂点へ昇りつめていくさまを劇場で体感してほしいと思います。

みなさんの映画になってほしい

佐藤浩市さん演じる広岡仁一の実家の撮影は大分県で行いました。大分は僕の故郷なんです。プロデューサーにツテがあって大分でやりたいということだったので、本当に偶然です。実際撮影が行われたのは関サバや関アジで知られる佐賀関で、僕は国東(くにさき)半島の生まれなのでもっと北のほうなのですが。離れていてよかったです。地元で撮影なんて絶対にイヤですね。照れ臭い(笑)。作品に参加するかどうかで大切なのはタイミングです。あとはやはり作品に愛情を持てるかどうか。好みってどうしてもありますから。僕が好きなのは人間臭いものでしょうか。今後手がけてみたいのは、昭和の時代を描いた作品です。日本が戦争をやった事実をみんな忘れつつありますよね。戦争を戦ったことから遠ざかっているというか。だからこそ、戦争の影響を受けながらも生き抜いてきた人びとの姿を日本の戦後の歴史とともに描けるような作品をやりたいと思っています。

映画「春に散る」のラストシーン、土手に立つ横浜くんの引きの後ろ姿。実は顔の寄りも撮っていたのですが、編集で両方を観て背中を選びました。背中だけのほうがみんなの映画になるような気がしたんです。人生を取り戻した翔吾の個人的な物語ではなく、観たみなさんそれぞれに、それぞれの前に向かう力を与えられるような、そんな映画であってほしいと思っています。「春に散る」を撮り終えて、映画のテーマがまさにそうだと思うのですが、人生に完成なんかないと感じました。広岡仁一は歳を取って日本に帰ってきて、あとは残された余生を送るだけだと思っていたのに、若いボクサーと出会い新しいチャレンジを始める。僕自身も人生の残り時間のことを考えるわけです。残された時間であと何ができるのかと思ったりもするのですが、見事にやり遂げるとか、きれいに終えるとか、そんな人生の完成にはなかなかたどり着けない。最近つくづく、人生を完成させるって難しいなと感じています。だからやり続けるしかないんです。僕は映画を撮っていないときは、映画館で映画を観ています。先日も渋谷のル・シネマに2日続けて行っちゃいました。やっぱり映画が好きなんです。だから撮り続けるしかない。撮り続けていきたいと思っています。

映画「春に散る」
日本のボクシングに失望しアメリカに渡った元ボクサーの広岡仁一(佐藤浩市)。チャンピオンになる夢は破れたがホテル経営者として成功、だが不完全燃焼の心を抱えたままの40年ぶりに帰国する。そんな仁一の前に、不公平な判定負けに怒り一度はボクシングをやめた黒木翔吾(横浜流星)が現れ、ボクシングをゼロから教えてほしいと頼み込む。翔吾の熱意に動かされトレーニングを開始するふたりは、やがてフェザー級世界タイトルマッチに挑むこととなる。
出演:佐藤浩市 横浜流星 橋本環奈/坂東龍汰 松浦慎一郎 尚玄 奥野瑛太 坂井真紀 小澤征悦/片岡鶴太郎 哀川翔 窪田正孝 山口智子
原作:沢木耕太郎『春に散る』(朝日文庫 / 朝日新聞出版刊)
脚本:瀬々敬久、星航、音楽:田中拓人、
プロデューサー:星野秀樹、共同プロデューサー:佐治幸宏、ラインプロデューサー:及川義幸、キャスティングディレクター:元川益暢
撮影:加藤航平、照明:水瀬貴寛、録音:高田伸也、美術:井上心平、装飾:櫻井啓介、編集:早野亮
VFXスーパーバイザー:立石勝、スクリプター:江口由紀子、衣装:纐纈春樹、ヘアメイク:那須野詞、音響効果:岡瀬晶彦、題字:池田樂水、助監督:副島正寛
制作担当:馬渕敦史、ボクシング指導・監修:松浦慎一郎、ボクシングアドバイザー:田中繊大、内山高志、スーパーバイザー:池田朋寛
配給:ギャガ
Ⓒ 2023映画『春に散る』製作委員会 8月25日(金)全国公開

インタビュー・テキスト:永瀬由佳