2015年にライトノベル作家としてデビューした落合祐輔。多くの挫折を繰り返し、ようやく、書くことこそが自分の本分だと気づいた。
出版不況の中、大手出版社から写真集を出し続ける若手人気写真家は、培ってきた人脈を駆使し自身で企画を売り込み、写真集を成立させるためにありとあらゆる手を尽くす。「だけどいつも打ちのめされます。どれだけやっても努力しても、ここまでなのかと」。それでも「これしかない」と知っている人間は止めない。だれのためでもない、自分のためだ。そうやってうみ出されたものが、いつかだれかの夢や希望や力になる。
生まれついての妄想家
子どもの時から物語を思い描くのが大好き、かなりの妄想家でした。あとは、マンガにアニメにゲーム。母がマンガ好きで、そういったものに事欠かない生活をしていました。当時、将来の夢なんてなかったです。ゲームはやるもの、マンガは読むもので、それをつくる側に行けるなんて考えたこともありませんでした。
小学3、4年生の頃、写生大会で小さな賞を連続でいただき、自分は絵が得意だと勘違いしてしまったんです。物語を作るのが好きで絵も描けるとなると、「るろうに剣心」が大好きだった僕としては「マンガ、描けるかも?」と、猛烈にマンガを描き始めました。約1年後、ノート10冊分ぐらいマンガを描いてやっと気づきました。自分はあまりに絵がヘタだと(笑)。「RPGツクール」というソフトでゲームづくりにも挑戦しました。できたゲームはつまらないものでしたが、でも物語をつくることはすごく楽しかった。それで小学6年生ぐらいから父にワープロをもらって文章を書き始めました。書いていたのは異能力を使ったバトルもの。まさかそれが今の仕事になるとは、思ってもいませんでしたが。
勉強はあまり得意ではなく、小学校4年生から6年生まではミニバスケット、中学ではサッカー部で運動を頑張ってみました。でもそこまできてようやく、自分は運動が得意じゃないと気づくんですね(笑)。僕はカモフラージュのために運動部に入っていたんです。マンガにアニメにゲームが大好き……自分はいわゆる「オタク」だと気づき、特に中学に上がってからは周囲から浮いている感が半端なくありました。クラスで「昨日の『ONE PIECE』見た?」って言っても、だれにも相手にされない。実は同窓会で、クラスでけっこう目立っていたヤツがガンダム好きだったと知って「なんだ、もっと早く言ってくれよ!」って。自分が勝手に疎外感を感じてしまっていたんだと思います。
やっと自分になれた
高校はせめて何か資格を取りたいと商業系の情報処理科に進みました。自分の趣味や文章を書いていることは内緒にして、クラスの中で一番ヒエラルキーの高いグループに属しカメレオンのごとく周りに同化して生きていました。
書くことはずっと続けていました。投稿サイトに匿名で作品をアップし、感想をもらえるのが楽しみでした。中学時代に自分の書いたものを友だちに見せひどく冷やかされたことがあって、それ以来誰にも見せてなかったんですが、他人の感想を聞きたいという欲求はずっとありました。学校で素の自分を出せない、書いた作品を自分の名で公にすることもできない。いま思えばそういった抑圧が、創作意欲に向かっていた気がします。
高校時代から本格的にテレビドラマや映画を見るようになり、映像作品の面白さに気づきました。調べてみると、映像というのは、いろいろな役割の人たちが集まってつくっていることがわかり、なかでも演出と脚本にとても興味を持ちました。自分の思い描く物語を映像にして人に見せられるものにする、そういったことを学べる場所として日本工学院を見つけました。それで高校2年生の夏前に八王子校の体験入学に参加しました。
体験入学は衝撃でした。全員がつくることに真剣に向き合っているという環境がすごいと思いました。何より、自分がひた隠しにしている書くことやつくることを「いくらでもやっていいんだよ」と言ってくれたような気がしました。ここなら自分のやりたいことをさらけ出していい。ここに来たい、来ようと思いました。それからは八王子校の先生や先輩たちに、「また来たね」って言われるぐらい、体験入学があるたびに参加していました。
高校卒業後は迷いなく日本工学院八王子専門学校に進みました。やっと仮面が外せた。友だちもできて毎日楽しくてしようがありませんでした。僕は制作コースを専攻し演出を志望しました。制作活動と課題に追われ、自然と書くことからは離れていきました。
書き続けるために
卒業制作のドラマで念願の演出と脚本を担当できることになりました。でもいざやってみると脚本は問題ないのですが、演出が思うようにやれず苦しみました。やってみたら違った、できなかったってことを繰り返してきたけれど、入学以来ずっと目指してきた演出もそうだったとは。そこで戻ったのが書くことでした。卒業制作の演出の苦しみから逃れるために、帰宅してからは卒業制作のドラマのノベライズに没頭しました。書いている時間は本当に幸せでした。それで気づきました。自分には書くことしかない。妄想したものを形にする手段として、僕には「書くこと」が一番合っているんじゃないかと。
卒業後は先生から紹介されたテレビ制作会社で4カ月だけADをやりました。それからは、バイトをやりながら、ただただ書く毎日でした。親は心配していたと思いますが、自分としてはせっかく専門学校に入れてもらったのに、なんの結果も残さないで実家に帰るわけにはいきませんでした。それと、不思議と自分に限界を感じませんでした。年に1~2本作品を仕上げて応募し続けました。最初は箸にも棒にもかかりませんでしたが、評価シートをもとに反省して書いたり、応募する賞を見直したら、あるタイミングで3次選考まで行きました。それからは2次か3次選考までは残れるようになりました。2015年に第11回MF文庫Jライトノベル新人賞審査員特別賞を受賞し、『俺と魔物の異世界レストラン』でデビューしました。7年かかりました。
デビューできた人とそうでない人の大きな差のひとつは、書いてきた数だと僕は思っています。僕はプロを目指し始めてから、とにかく書き続けてきました。書くことを怠ってしまったら本当に自分に価値がなくなってしまうという、恐怖心もあったんだと思います。
最近ようやく、一番大事なのは5年後、10年後に自分がどうなっていたいかというビジョンをしっかり持つことだと思えるようになりました。そしてもうひとつ大切なのは、それに向かって突き進んでいく行動力、バイタリティーです。自分がいまどこまでそれができているのか、将来の自分像をどれだけしっかり思い描けているのか、まだまだだと思いますが、周りの先輩作家さんたちを見ていると痛感します。何も考えずに、好きなものだけ書いてやっていけるというのは本当に一握りの天才で、そうでない僕のような人間はしっかり未来を設定し、そこに向かって逆算して猛烈にやっていくしかない。そうしなければ絶対に書き続けていけないと思っています。書き続けるためなら、僕は使えるものは全部使う。取れる手だてはすべて取る。書くことに全力を尽くしたい。ようやくその道のスタートラインに立てたわけですから。
『聖剣転生してギャルと…!?』
(KADOKAWA MF文庫J)
著者:落合祐輔 イラスト:あなぽん
川で溺れた聖健太郎は、目覚めると異世界で伝説の剣に生まれ変わっていた。健太郎を唯一使いこなせるレナ。クエストよりおしゃれ命のギャル剣士とカタブツの聖剣がゆる~い冒険を繰り広げる。「もっと魅力的で可愛いキャラを書けるようにと、ずっと努めてきました。本作はキャラメイクもうまくいっていると思いますし、自分のやりたいことを最大限に出しました。どのようにみなさんに読んでいただけるのか、すごくシビアですが、楽しみです」