小山哲は一度就職活動でつまずいたものの、アルバイトから出発し、大好きなゲームにかかわるという夢を手に入れた。
「アルバイトで入ったときからどんな小さな仕事でも全力で取り組んできました。本当に真面目に一生懸命やりました。ようやくゲーム会社に入れたんだから、なんでもやるぞ!って思ってましたから」
小山の「なんでもやる!」は本物だった。小山にはその覚悟があった。
「好きなゲームが限定されていると、行きたいゲーム会社も絞られてしまいますよね。でも僕は好きなゲームが山ほどあったので、ゲーム会社ならどこでも大丈夫だったんです。どのゲーム会社にもいいゲームはありますから」
小山の「ゲーム会社ならどこでも行く!」は何よりの強みだった。
「いまも会社でお昼休みにゲームをやっていると、『ホントゲーム好きだな』って、言われますね(笑)」
大好きなものを仕事にする――それはつくり手に許された最高の幸せであり、それこそがつくり手として生きる醍醐味なのだ。
■ あらゆるゲームをやってきました
僕はゲームがとにかく好きなんです。だから、本当にいろいろなゲームをやってきました。相当やってます(笑)。「スーパーマリオブラザーズ」が生涯で一番やっているゲームなんですけど、あとは「スーパーロボット大戦」とか、最近復活した「メタルマックス」は戦車に乗って戦うRPGなんですが、発想がすごいなって思いましたね。あと「MOTHER」。名作ですよね。あげるときりがないです。もちろんいまもゲームは大好きで、いろんなゲーム機を持っていますし、もうすごいことになっています。
幼い頃からゲームに興味を持っていました。当時はファミコンで、僕は一人っ子なんですけど、祖父母もおじさんも一緒に住んでいて、家族で遊んでいたんですよ。小学校に入ってからは、雨の日以外はゲームをしてはダメって親に言われていたので、秘密基地をつくったり、外でみんなで遊ぶことも多かったし、それも嫌いじゃなかったです。小学校高学年になってくると、RPGも出てきて、ドラゴンクエストシリーズは友だちもみんなやっていたし、どこまで進んだとか、学校でもその話で大盛り上がりしてました。
中学生になってからはもっとゲームをやるようになりました。勉強は嫌いじゃなかったけど、勉強は学校でやって、家に帰ったらゲーム(笑)。高校生になってからは、ゲームセンターに行くようになり、ますますゲームへの向き合い方が広がりました。実は対戦ゲームだけは弱かったので避けてきたんですけど、どうしてもやりたい対戦ゲームが出てきたんです。それがセガの「電脳戦機バーチャロン」というロボットで戦うゲームで、これがめちゃくちゃ面白くて。「バーチャロン」はツインスティックで、スティックを前に倒すと前進するし、引くと後ろに戻るんです。本当にロボットの操縦席に座っているような操縦感がすごくあって、ものすごく好きでした。
MJ.NETアーケードゲーム「セガネットワーク対戦麻雀 MJ」シリーズと連動したモバイル・ネットワークサービス。Aimeカードを購入し、ゲームセンターで「MJ」をプレイすると、対局結果が閲覧できる。また、細かな戦績確認、アイテムの装着・保管・購入・売却、オークションの利用、チームの結成、メールマガジン、各種ゲームなどざまざまなコンテンツも利用できる。小山が現在手がけているアーケード連動タイトルのひとつ。
■ 焦って別の道を選んでいたら、いまの僕はなかった
ゲームの仕事に就きたいと思い始めたのは高校に入ってからです。学校で専門学校の説明会があって、そこでゲーム制作の仕事を知り、それで専門学校を調べ始めました。いろいろな専門学校の資料を取り寄せて見比べた結果、日本工学院専門学校のマルチメディア科に決めました。まずちゃんと校舎があるっていうのがすごいなって思いました。アルバイト先の先輩がゲーム系の専門学校に行っていたんですけど、ビルの一角にあったんです。でも日本工学院はきちんとキャンパスもあって、学校法人にも認可されているし、しっかりした学校だっていう信頼感が決め手でした。
日本工学院はとにかく楽しかったです。2年間、無遅刻無欠席でした。周りはみんなゲーム好きばかりだから話は合うし、ゲームをつくりたいという目標があったので、そのモチベーションがずっと続いていた感じです。ゲームのめり込み度はかなり進んでいましたね。セガの「ファンタシースターオンライン」というオンラインゲームを仲間と始めて、画面に、友だちのキャラクターと自分のキャラクターが一緒に出てきてチャットができるんですよ。これスゴイ!って思いました。夜の11時から朝の8時まで使い放題コースに申し込んで、みんなで寝る間も惜しんでやってました。
でも就職活動で挫折しました。僕は好きなゲームがたくさんあったので、行きたいゲーム会社だらけだったし、むしろ入れてくれるならどこでも行きますって気持ちで臨んだんですが、うまくいかなかったですね。原因は自分のスキル不足だと思います。学校ではプログラムを勉強していたんですが、実力不足だなというのは自分でも感じていて、だから大手を避け、中小のゲーム会社狙いで5、6社受けたんですがダメでした。
それで担任の先生から、1年間日本工学院の教育アシスタントをやらないかと誘っていただいて、「やります!」と即答しました。教育アシスタントをやっているあいだも不思議と焦りはなかったです。それがよかったのかもしれません。変に焦って別の道を選んでいたら、いまの僕はないわけですから。
■ ゲーム会社で働けている喜びが、いつまでも消えない
教育アシスタントの1年が終わる頃に、セガからデバッカーのアルバイト募集が来ていると知り応募しました。とにかくなんでもいいからゲーム会社で働きたいと思いが強くありました。それで面接に受かって、長期アルバイト契約ということで採用されました。普通なところがよかったんだと思います。たまにすごく偏っていたり、人と会話ができない人もいますから。
デバッカーの仕事はキツいと言われることもあるけれど、僕は平気でした。仕事だからって覚悟して入ったし、同期は半年ぐらいで辞めちゃいましたけど、僕は辞める気なんてサラサラなかったです。ずっとやるぞ!ってぐらいの気持ちでした。ゲーム会社で働けていることがすごい喜びだったんです。「ヤッター!」っていう気持ちがずっと消えなかった。いまもそうです。
デバッカーの作業に余裕があるときは、プランナーの先輩から頼まれて仕様書や企画書を書いたり、少しずつ仕事を覚え、任される仕事も増え、徐々に人間関係も広がっていきました。2年後にプランナーとして契約社員になり、現在は正社員としてアーケードゲームと連動したモバイル・ネットワークサービスの企画開発を手がけています。アーケードゲームはどれだけ大勢の人に楽しんでもらうかが重要なので、モバイルやPCとも連動し、よりアーケードゲームを楽しんでもらうための企画を日々考えています。毎日楽しいし、モバイルも、アーケードも、家庭用もゲームは全部好きなので、将来的には、いろいろなゲームに携わりたいと思っています。
僕がここまで来られたのは、しぶとかったからだと思います。本当に好きだったら、アルバイトでもいいから業界に入ってみるべきです。何もしないであきらめてしまうぐらいなら、一度でいいから現場に入ってやってみてほしい。ゲームの仕事っていろいろあるし、そこで何か新しい道が見つかるかもしれない。アルバイト先がセガだったというのは、僕にとってとても運のいいことだったけど、僕はどのゲーム会社でもどんな形でも、チャンスがあれば絶対に行ったと思います。若い人たちに対して、「あきらめないでほしい」と簡単には言えないけど、あきらめなかったから僕のいまがあるし、好きなことを仕事にするって幸せですよ。どれだけやっても、つくっても、ゲームは本当に楽しい。ゲームのめり込み度はますます悪化しています(笑)。
SFC.NETネットワーク協力アクションRPG「シャイニング・フォース クロスレイド」と連動したモバイル・ネットワークサービス。専用ICカードには自分のキャラクターが保存でき、ゲームセンターでプレイしたキャラクター情報を確認することができる。また、武器や防具をプレイヤー同士で売買する「オークション」や「アイテム取引所」、プレイヤーを支援してくれる「妖精」とのコミュニケーションなど、RPGならではのコンテンツが用意されている。
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