実在しない都市『中村市(なごむるし)』の地図を書き続ける、地理情報の編集とデザインを手がける株式会社地理人研究所代表:今和泉隆行さん。7歳の頃から空想地図(実在しない都市の地図)を描き続け、25年以上たった今は『空想地図作家』として美術展や書籍の執筆などをおこなっています。
お話を聞くほどに、今和泉さんには「世界が地図のように見えているのでは?」と感じます。そんな今和泉さんに、地図の見方・面白さ・楽しみ方のヒント、そして、競合のいないクリエイターとしての生き方について伺いました。
7歳の頃から空想地図(実在しない都市の地図)を描く空想地図作家。大学生時代に47都道府県300都市を回って全国の土地勘をつけ、地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる他、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。空想地図は現代美術作品として、各地の美術館にも出展。青森県立美術館、島根県立石見美術館、静岡県立美術館『めがねと旅する美術展』(2018年)、東京都現代美術館『ひろがる地図』(2019年)。主な著書に『みんなの空想地図』(2013年)、『「地図感覚」から都市を読み解く:新しい地図の読み方』(2019年)。
【公式サイト】
https://www.chirijin.com/
想像が広がるリアルな地図『空想都市・中村市(なごむるし)』
――かなり大きな地図ですね!この空想地図はいつから書かれているんですか?
7歳からです。地図を描きながら「この人口だったらこんなに街が賑わっていたらおかしいな」とか「この街はもう飽きちゃったな」とか「次はもっとちゃんと描こう」と繰り返しているうちに、いつまでたっても終わらなくて……。25年以上ずっと描き続けています。一番集中して描いていた12~17歳の頃には、大きな模造紙の地図を5枚ほど、A4やB5を含めると20~30枚描きました。
――なぜ地図を描くんでしょう。
どうしてでしょう……鼻歌に近いんですよね。淡々とキャベツの千切りをしているような、無意識の無の境地です。もともとは看板やデパートをイラストにしたりもしていたりと、「日常の断片をトレースして再現してみたい」という欲求があるんですよ。しかも、実在の日常ではなく“架空の世界”を再現するのが好きなんです。だから「もしこの街が本当にあったら……」という発想で描き続けているのが、中村市(なごむるし)の地図です。
――「中村市」ってどんな街なんですか?
人口156万人の都市で、この国の首都の西京市(さいきょうし)から南に30キロ離れた場所にあります。そこでの日常生活は日本によく似ているので一見、日本の地図に感じられるんです。でももちろん「架空の都市」ですよ。
――つまり、今和泉さんが架空の都市・中村市という世界を創っているんですか?
というより、私は「中村市にあるものを再現している」んです。もし中村市が本当にあるとしたらこのような形だ……という地図ですね。たとえるなら、マンモスのレプリカや遺跡の再現住居を作っている感じです。実際に正しいかはわからないけれど「きっとこうだ」というもの。ゲームや小説だとストーリーがありますが、地図はただの地図。見る人が想像する形になります。
――かなり大きな地図ですが、どこから書き始めるんですか?
どこだったかなぁ。地図を描く=自分が知らないところに行くという感覚なので、「その街に着いたなら……」と道路か駅か鉄道から書き始めることが多かったです。でも最近は川から書きます。一番低いところから書いた方が、街の地形が決まりやすいんです。それから「この街はどんな風景なのかな」と描き進めていきます。
――それって、自分が“主人公”みたいな感覚なんですか?
自分自身は観察者なので、主人公であるどころか、そこに私はいません。小説や漫画、映画で出てくるのは、脇役を含めても、その世界にいる人々のうちごく一部です。地図は基本的に、その世界の大多数の描かれない人たちを、同じ粒度で均等に描くような描き方です。
――地図だから、俯瞰で見ているんですね!この地図を描くために、地理関係の専門家の方にヒアリングしたそうですね。
そうなんです。中村市は日本にとても似ているので、法制度や技術面も近いはずです。だから東京メトロの方などに「この場所にこの規模の駅があるとしたらいつ頃できたものなんでしょう?」「これは20年前にできたリニアだと思うんですけど」と質問すると「この街に対しての製造技術を考えると、この電車はこれくらいのカーブは曲がれるでしょうね」「この地形なら線路はこっちにあると思いますよ」など技術的なことを教えてもらいました。
――中村市ってこれからどうなるんですか?
どうなるんだろう……次から次へと「あ、ここの地図おかしいな」と修正がでてきて、いつまでたっても描き終わらないですよ。終わらせたいんですけどね(笑)
地図からうまれる「忘れ物」「音」「CMソング」
――地図だけでなく『落とし物』や『忘れ物』も作られていますよね、しかもかなりリアルな!落とした人の名前の印字や、手触りも私たちがふだん使っているものに近いです。キャッシュカード、ホームセンターのレシート、パスケース……
落とし物は、美術館での出展(2017年、宮崎県)がきっかけなんです。展示するのなら地図以外のものも作ろうと、中村市にあるだろうものを実際に再現してみました。作ったものの中にカラオケ店のレシートがあるのですが、私がカラオケに全く行かないのでつくってみました。自分が味わうことのない日常を知りたい、その好奇心と想像力を楽しんでいるんでしょう。でもあまり非日常的なものじゃなくて、再現するのはふつうなら注目されない日常のちょっとした産物ばかり。日常的なものの方が見る人の身近な想像力で見られるのではないか、と思いまして。
――あ、お金の単位が「円」でなく「園」なんですね。
日本じゃないですからね(笑)
――落とし物のほかにも、再現しているものはあるんですか?
パフォーマンス集団『居間 theater』とおこなったイベントで、私が描いた架空の首都と、東京都で共同開催している架空の芸術祭の音声ガイドをつくったんです。たとえば「この地下道にはうなぎが住んでいます」みたいな音声ガイドがあるんですが、そうだとしたら都市はどう見えるか、新たな見立てづくりを模索しています。
――地図と、ほかのジャンルのコラボレーションですね。
そうです。音だけでなく、地図以外のものとのコラボレーションはものすごくやりたい。ただ、私が人を誘うのが苦手だからできてない(笑)
でも「空想地図をクリエイターのプラットフォームにしたい」という思いはずっとあります。これまでにも音声ガイドのほか、架空のCMソングを作ってくれたり、実現はできていないのですが街の食堂の料理を再現する案もありました。私はべつにビジネスにするつもりはないので、地図をもとにいろんな方がそれぞれ自由に使ってくれたら嬉しいです。
――見る側としては、この架空の都市の楽しみ方ってなんですか?
空想地図はただの地図でしかないので、そこにどんな人がいて、どんな風景で、どんなことが起こってそうか、想像力を呼び覚まして楽しむことになります。その意味では、映画やゲームよりは、多少の想像力を要する小説に近いかもしれません。私にとって地図は、知らない場所を味わう道具でしたが、見る人にとってもそうであれば良いなと思っています。
――もしかして、今和泉さんは世界を地図のように見ているんでしょうか。
世界というか、人間関係も含めて身の回りのことも、自分のことも俯瞰しがちです。客観的に捉えると落ち着くんですが、ひいては地図的なんでしょうね。
――なるほど。今和泉さんにとって地図は、自己表現というか、世界と繋がるツールがなのかもしれないですね。たとえば、ダンサーが踊ることで自己表現するように。
自己表現というか、ひとつの表現手段です。表現手段はさまざまで、ダンスのように身体表現をする人もいれば、小説や音楽で表現する人もいます。一言で言い表せない複雑なことを伝えるために、さまざまな表現手段がありますが、私にとっては地図がひとつの表現手段でした。地図好きの人は、地図の表現からあらゆることを読み取りますが、まだ表現手段やコミュニケーションツールと言うほどは定着していないとは思いますが。
市場のないところに市場をつくる
――今和泉さんは「空想地図作家」として美術展にも参加していますが、アーティストとして活動しようと思っていたんですか?
そうは思っていませんでした。もともと趣味なので、見るのは周囲の友人くらいでした。大人になってから驚くほど面白がる人が出てきて今に至ります。地理学科にいたこともありますが、卒業時は違いますし、そういう職歴もありません。美術の世界にもいなかったので、公立の美術館で展示をする機会をいただけたのは、想定外でした。
反対に、見る人にとっても「地図を美術館で見るの?」というのは意外だと思います。違うジャンルの重なり合いは個人的に好きです。
――空想地図を描くことを、仕事にしようと思ったことはないんですか? たとえば、街づくりに関する職業に就こうとか……
ときどき聞かれるのですが、考えたことはありません。好きなことを仕事にしようなんて思ったことは、もともとなかったのです。空想地図なんていかにも仕事にならなそうじゃないですか。ただ、自営業になってしまったし、空想地図で知られる人になってしまった。こういう人間の食い方はまだ確立されていないので、市場や食い方をつくるところから始まります。試行錯誤です。
――たしかに、今までにないコンセプトで本を何冊か書かれています。最初に出されたのは『みんなの空想地図』(2013)ですね。
『みんなの空想地図』は、空想地図を描いてきた半生と、空想地図からどのような想像ができるかがメインですが、そこから現実の世界の見方への応用例も後半で書いています。
3月に出した『「地図感覚」から都市を読み解く:新しい地図の読み方』は、現代の地図をどう見ると面白いかを説いたガイド本です。古地図と地形の楽しみ方は地図趣味の中で一般的になってきましたが、現代の地図の楽しみ方はほとんど書く人がいませんでした。地図からどんな日常を想像できるか、というのは空想地図と通じています。
――市場がないところで、自分の価値を開拓していくコツは?
関わりのなさそうな領域に進出すると可能性が広がります。音楽の世界の中でプロのミュージシャンになるのは針の穴を通すようなことですが、意外な業界でその技能が求められるかも知れません。そのためには、その異業界の求めていることを知り、つながっていない両方の領域で、何をどう掛け合わせてどんなことができるかを試行錯誤することです。
私は戦略的にそれをやったというよりは、そういう経験が多かったのです。現代美術作家になるのも私にとっては想像の外側でしたが、想定外の領域へのフットワークは軽くしておくと可能性は広がります。
――市場がないと不安になりそうですが……
不安はゼロではないですけど、既存の市場は競争相手がいるので、その中で戦うのはそれ以上に不安です。ないものを作る試行錯誤は、私にとっては、真似することや競争することよりも手間を感じません。自分の強みや弱みとは、自分のしたいこと、また、他人と比較して楽か苦かということ、もっと言うと、自然とやり込んで質を追求していることや、逆にめんどくさがって適当にしてしまうことを、人と比べたときの違いのことです。自分を客観視して他人と比べると見えてきます。
――では、今和泉さんの将来的な展望は?
七十歳ぐらいになってもどうやって食っていくか。体が十分に動かなくても生活費は必要です。たとえば、不動産屋さんから利用料をもらって「地理人研究所の公認引越アドバイザー」制度を作り、僅かな体力で最新の情報を更新し続けるとか、ですかね。未来のことは分からないので、そのときそのときで試行錯誤すると思いますが。
新刊『どんなに方向オンチでも地図が読めるようになる本』店頭にて販売中
今和泉さんの俯瞰的なスタンス。そのすべてを受け入れる佇まいがあるからこそ、いろんな方がアイデアを持ち寄ってくるのだろうなと感じました。まるで、地図のうえでは一人ひとりがそれぞれの生活をしていくように、今和泉さんの「空想地図」はいろんな人が思い思いに過ごせる場所なのでしょう。
インタビュー・テキスト:河野 桃子/撮影・企画・編集:田中祥子(CREATIVE VILLAGE編集部)