――2024年4月に開業した東急プラザ原宿「ハラカド」。クリエイティブディレクターの千原徹也はそのコンセプトの立ち上げから参加し、手がける東急不動産と話し合いを重ねた。「東急不動産なんて天下の大会社が、ただ売り上げを立てるためにまちを無視して商業ビルを建てるようなことをしていると、本当にまちが壊れてしまう。原宿を単なる商業ビルのまちにしていいのか。原宿文化を守っていくような未来に向けてのまちづくりを考えることが大事なのではないかと、延々話し合った結果生まれたのが『ハラカド』です」。自身のデザイン会社も「ハラカド」に移転し、5月には「Re: DESIGN SCHOOL」も開校した。「覚悟を決めて『ハラカド』に身を置き、ここをクリエイターたちが自由に集まれる、原宿とのコミュニティのハブになるような場にしたい。これはクリエイティブなまち・原宿を残していくための僕の挑戦でもあるんです」――

ハラカドに移転して仕事の依頼が約3倍になりました

現在「Re: DESIGN SCHOOL」では約80名のみなさんが学んでいます。一番若い子は10歳。高校生に大学生もけっこういますし、他業種で働いているけれど技術を身につけてクリエイティブ業界に行きたいという20代前半から中盤をはじめ、業界でのキャリアアップを目指す人、新たに映像制作を学ばれている60代の方もいます。特にプロフェッショナルクラスという、僕が代表を務めるデザイン会社・れもんらいふで働きながら学べるコースの6人はモチベーションがめちゃくちゃ高い。普通の新入社員なんかとは比べものにならないくらい、みんな真剣だし本気です。まだスタートして数か月ですが、学長の僕から見てとてもいい感じだし、面白いことになっていると思います。

れもんらいふのオフィスも「ハラカド」に引っ越しました。何度もやめようと思いました、資金的な面で折り合いをつけていくのが本当に大変で(笑)。でもいまは移ってよかったと思っています。「ハラカド」に移転したことで、仕事の依頼が約3倍になりました。というのも、れもんらいふの一部をポップアップスペースとして貸し出しているのですが、スペースのレンタルだけじゃなく、そこにはるポスターや広告物のデザインも依頼されたり、僕が新商品のパッケージデザインを手がけているクライアントさんからポップアップスペースでプロモーション展開したいと言われたり、相乗効果がすごい。それに、これだけオープンなスペースなので、直接声をかけられて仕事を相談されることもあるんです。

このあいだもある企業さんから、「そこに“デザイン会社です”って書いてあったからホームページを見てみたら、探していたイメージにピッタリだったのでお仕事お願いしたい」と依頼いただきました。知り合いが通ることも多いし、隣がJ-WAVEのサテライトスタジオなのでミュージシャンが立ち寄ってくれたりして新しいプロジェクトが始まったりもしています。この打ち合わせスペースにあるテーブルや家具は、オフィスのデザインや家具を取り扱っているインターオフィスの提供です。僕らが借りているわけじゃなくて、インターオフィスがここをショールームとして使っているわけです。そういったコラボレーションも可能な場所なんです。

まるで社食のように「ハラカド」でご飯を食べている東急の社員さんたち

「ハラカド」のプロジェクトに関わるようになったは約5年前です。山梨県富士吉田市の地域創生の一環で喫茶檸檬を一緒に企画した永谷亜矢子さんから「原宿に新しい東急不動産のビルが建つんだけど、クリエイターの立場から意見を言って、どういうビルが原宿にふさわしいのか一緒に考えてほしい」と誘われました。永谷さんとの出会いは10年以上前。永谷さんが立ち上げたTGC(東京ガールズコレクション)のポスターを僕がデザインしたのがきっかけでした。それで話し合いに参加することになったのですが、東急(不動産)さんは「坪単価でいくら利益を出せるか」をミッションとしてやっている会社だから、例えば売り上げが立たないデザイン事務所をここに置くなんてことは、ダメというより超はてなマークなんですよね。何度も話し合いをやめようと思いました。机をひっくり返しそうになったことだって多々ありました、お互い様だと思いますが(笑)。だってまったく違うジャンルの人たちが出会って、これまでやったことのないことに挑もうとしているわけだから、東急さんだって必死だし、僕らにとってもとんでもない挑戦でした。だけど、「なぜそんなことが必要なのか」を説明し提案を続けていくと、はるか彼方にいた東急さんが、1段1段階段を降りてきてくれた。不動産会社とクリエイターが、互いの目的と意図を汲んで、寄り添い心を通わせ出来上がったのが「ハラカド」なんです。

「ハラカド」がある神宮前交差点をちょうど斜めに渡ったところ(現:東急プラザ表参道「オモカド」)に、かつて原宿セントラルアパートというのがあって、いろんなクリエイターや文化人たちが集う原宿文化が生まれる場所でした。僕は「ハラカド」がオープンした1カ月後にnoteで「セントラルアパートは始まっている」と書いた。僕からは何も言ってなかったのに、それを見た東急の担当者さんが全社員に共有してくれたんです。「私たちのこれからのミッションは、売り上げを立てるだけの商業ビルをつくることじゃなくて、まち全体の文化をつくっていくこと。「ハラカド」でその入口に立った」と。本当に嬉しかったです。とにかく東急の社員さんがすごく「ハラカド」に興味を持ってくれていて、まるで社食のように毎晩「ハラカド」でご飯を食べている。僕がグルメ階に行ったらしょっちゅう会うんですよ、みなさんに(笑)。建てた会社の社員さんに楽しんでもらえるって一番大事で、それこそがこれから僕や広告やデザインが目指すべきことだと思います。外に向かって「いいビルですよ」って言うのではなく、まずそれを建てた会社や関わった当事者の皆さんに「いいビルだな」って思ってもらう。結果それが、外に向けての一番効果的なPRになるんです。

これからは“概念からデザインする力”が必要になる

デザインの概念を変える必要があると思います。もはやデザインってポスターやロゴをつくったりすることじゃない。いまはソフトも発達して素人でも簡単にデザインできちゃうし、AIでもつくれる。広告のビジュアルをつくるよりTikTokでだれかが紹介したほうが売れるこのSNS時代において、デザインを依頼されてそれを打ち返しているだけだと、どんどん仕事は減っていくし、生き残っていけない。となると、デザインという言葉の枠組みを広げていくしかないんです。企業の考え方の方向性を提案するとか、未来に向けてやるべきこと、企業のあるべき姿を考えて実現に向けて動く、そういった概念からデザインする力が必要になってくると思います。僕がいま一緒に仕事をしているサイバーエージェントさんはAIを開発していて、2年後にはほとんどの社員が必要じゃなくなるというのがもう見えている。例えばいまWebのバナー広告をつくるのに、何百人というデザイナーが1日中何千件もの広告をひたすらリサイズしている。でもそれってもはやAIでできるわけです。広告デザインだってAIでつくれるし、しかもそれが一番効果的な広告なんです。過去のアルゴリズムから、「こういう商品で一番売れたのはこのコピーだったよ」「写真の撮り方もこういうのが一番いいよ」ってことをはじき出して、それをそのまんま取り込んでデザインしちゃえば、Google検索にも一番引っかかるし、確実に売り上げを立てられる。それをやれるのがAIなんですよ。

そういった中で、これから人にも会社にも必要なのは、AIが思いつかないことを思いつくことができる力だと思います。これまでのように、会社を立ち上げるからグラフィックデザインの仕事をやっている大学の同級生にチラシつくってもらおうなんてことはなくなる、つまり作業としてのデザインはもはやなくなって、、もっとアイデアの部分をしっかり考えられる人だけに仕事が絞られてくるはずです。いま僕がサイバーエージェントさんと一緒にやっているのも、AIに新しい価値観や考え方を提示することなんです。そういうことを、Re: DESIGN SCHOOLでは常に話しています。しかも講師たちがみんなそういう問題に直面して、戦って、生き残ってきている人たち、時代の最先端を走っているような人たちばかりだから、リアルタイムでいま何がいいのか、どうすべきなのかって話が聞ける。すごく勉強になると思います。やっぱり時代を体感している人にリアルに会うって大事なんです。

「次に行けー!」と言われている気がして、めちゃくちゃ泣いた

これまで転機はいくつもありましたが、強烈に残っているのはチャラン・ポ・ランタンとの別れかもしれません。チャラン・ポ・ランタンは、歌もファッションもユニークで、本人たちも可愛くて、いまの時代を突っ走っている姉妹ミュージシャンなんです。特に妹のボーカル・ももちゃんとは一緒に仕事したり、コラボレーションしたり、いろんな話や相談もしていました。だけどコロナ禍でライブができなくなって、しばらく彼女たちの仕事に関われない時期があったんです。で、コロナ禍が明けて初めてのライブをやるからと連絡をもらいました。僕とは違うタイプのクリエイターと組んで新しいものをつくったのでぜひ見てほしいと。2階の関係者席から、自分が関わってないチャラン・ポ・ランタンの新たなクリエイションを見ながら、すっごく切なく寂しくなりました。でもなんか、「みんなとわいわいデザインやっていつまでも青春している場合じゃないよ」って言われている感じがした。10年間、僕と共にれもんらいふを支えてくれたスタッフが独立する時にももちゃんが書いてくれた「無限大」って歌があるのですが、それをチャラン・ポ・ランタンがステージで歌っているのを聞きながら、「千原には新しいミッションがあるんだよ。次に行けー!」って背中を押しされているような気がして、もうめちゃくちゃ泣いちゃって、挨拶もせずに会場を後にしました。

吉澤嘉代子さんのジャケットもずっとやっていたんですが、違うデザイナーに変わったときも、なんか振られた感じがして悲しかった。でも吉澤さんが、「千原さんが一番大事。たまには違う人とやることだってあるけどね。だって千原さんがいたからここまでやっているんだから私!」って慰めてもらって(笑)。ものをつくりだすことに関わっている人は、本来みんなお互いずっと一緒にいるべきじゃないと思うし、それだと世界が広がらないし、それぞれ新しい人と出会っていくべきだから当たり前のことなんだけど、寂しさもたくさんありますよね。チャラン・ポ・ランタンのライブは本当に辛かったから記憶のかなたに葬りたいんだけど、でもあの2階席から見た光景はたぶん絶対に忘れられないと思います。

反応があることが嬉しくて、悪い評価すらありがたかった

2023年7月に公開された映画「アイスクリームフィーバー」は僕の初監督作品です。次回作の準備も進んでいるのですが、「アイスクリームフィーバー」をやったことで、どういう映画をつくりたいのか、つくればいいのかが自分で確認できたというのは大きかった。いろんなプロデューサーや海外の映画祭関係者からアドバイスもたくさんもらいましたし、1本映画をつくったことで、映画監督としての自分の評価もよく理解できました。めちゃくちゃ叩かれたところもありました。でもその反応、他人がどう思うかが、一番面白いし参考になる。グラフィックデザインをやっていても反応ってないんです。桑田佳祐さんのCDジャケットをやっても、桑田さんのCDに対しての反応はあっても、デザインに反応する人って本当にデザインに興味のある人だけで、それって世の一般の人たちからすると、まったくもって小粒ぐらいの反応でしかない。

佐藤可士和さんも以前対談したときにも言われていましたが、デザインの仕事って矢面に立たなくていいんです。可士和さんに、ユニクロの柳井正さんといろいろやられているけどプレッシャーじゃないんですか?って聞いたら、「プレッシャーの100パーセントを預かっているのは柳井さん。僕は、例えるなら彼が好きな女の子ができたときにうまくいくようにいろんな提案をしてあげるだけで、実行するのは柳生さんだから、何のプレッシャーもない」って。それがデザインの仕事、あくまでもサブで影の役割なんだと。でも映画ってもう超矢面なわけです。一番叩きやすいし、いろんなことを言いたくなる。だからそこに立った瞬間に、いままで数十人しか「いいね」してこなかったものが、もう何万人もが良いとか悪いとか言ってきて、それだけ反応があるってことが本当に嬉しくて、悪い評価すらありがたかった。こんなに長く悪口を書けるパワーってすごいなって思ったし、しかもお金払って映画館に観にいってくれているわけですから。だから、「ハラカド」もそうです。世間的にも、東急不動産社内にだって、良い悪いはあると思う。でも、反応があるってことが大切だし、僕にとってはそれが一番ためになるんです。

自ら行動して、獲りにいくしかなかった

映画監督も、桑田佳祐さんとの仕事も、佐藤可士和さんとの対談も、ずっと憧れていたことや夢が叶った。でもそれって、叶えているんですよね。自分から動いて掴みにいっているわけです。2022年に初めてMEGUMIさんと一緒にカンヌ国際映画際に行ったのですが、だれかや何かに招待されたわけではなかったんです。ちょうど僕は映画「アイスクリームフィーバー」の準備を進めていたときで、MEGUMIさんと相談して、「一度カンヌ国際映画際ってどんなものか見にいこう。それで何か得られるものがあるんじゃないか」って、知り合いの映画プロデューサーの関係者としてみずから足を踏み入れた。映画祭でいろんなものを見てたくさんの人に会って、日本の映画業界がこんなに世界の中でガラパゴス化しているのかとか、改めて考えさせられましたし、映画ってこんなに撮り方があるんだ、こういう考え方の映画もあるんだなって、単純にすごく勉強にもなりました。

でも、ある映画監督に「カンヌ国際映画祭に行ってくる」と言ったら、「カンヌは招待されていくもので、遊びに行くものじゃない。そんな暇あったら映画をつくることをもっと考えろ」って注意されたんです。カンヌ国際映画祭に毎回出品されているプロデューサーの方にその話をしたら、「その人はカンヌでは賞を獲れない。カンヌ国際映画祭の賞は、もらうものじゃなくて獲りにいくものだから」と言われました。獲りにいくことと待つことの違いがよく理解できた気がしました。MEGUMIさんだって、映画プロデューサーをやっているのは、グラビアアイドルから女優になりたくて、だけどいくら頑張っても仕事が来なかった。だったら自分でつくるしかない。自分で映画をつくって出演するしかないって発想から始まっている。人との出会いも仕事も待っていても来ない。みずから行動して獲りにいくってことをやらなきゃいけないんです。もちろんそんなことしなくても困らない人もいるとは思います。でも僕は、大手広告代理店出身でもないわけだし、なんの後ろ盾もなかったから、自分で必死に獲りにいくしかなかった。だけど、獲りにいける人ってやっぱり強いですよ。

千原徹也(ちはら・てつや)クリエイティブディレクター・映画監督/株式会社れもんらいふ代表
1975年京都府生まれ。大阪のデザイン事務所等を経て28歳で上京。デザイナーとしてキャリアを積み、2011年に株式会社れもんらいふを設立する。広告(H&M、日清カップヌードル×ラフォーレ原宿ほか)、企業ブランディング(ウンナナクールほか)、CDジャケット(桑田佳祐「がらくた」、吉澤嘉代子ほか)、雑誌装丁などさまざまなジャンルのデザインを手がける。またプロデューサーとして、「勝手にサザンDAY」主催、東京応援ロゴ「KISS,TOKYO」発起人、静岡県富士吉田市の活性化コミュニティ「喫茶檸檬」運営など幅広く活躍。さらに、ドラマ「東京デザインが生まれる日」(20/テレビ東京)では企画・演出を担当、23年には映画「アイスクリームフィーバー」で劇場監督デビューを果たす。著書に、『これはデザインではない「勝てない」僕の人生〈徹〉学』(CCCメディアハウス)、『人も企業も街も変えるクリエイティブの裏技。TRICKS OF THE DESIGN』(‎誠文堂新光社)。24年4月17日にグランドオープンした東急プラザ原宿「ハラカド」のコンセプトデザイナーとしても注目を集める。「ハラカド」の3Fにれもんらいふを移転させ新たな拠点とし、5月からクリエイティブスクール「Re: DESIGN SCHOOL」もスタートさせた。