動画の世界に自分がいるように感じられるVR動画。ゲームなどのエンタテインメント分野、商品やイベント、企業のPR等への活用の他、現在特に隆盛なのが、教育や研修分野での活用です。農家組合員、利用者に向けて保障の提供や地域貢献活動を行うJA共済連では、農作業中の事故防止のため、事故のシチュエーションを疑似体験するVR動画「農作業事故体験VR」を制作。各所から高い評価を得ています。今回は、同連合会のVR運用チームの皆さんと、制作・運用に協力するクリーク・アンド・リバー社(以下C&R社)の根本里恵氏に、制作や活用の実態をうかがいました。

全国共済農業協同組合連合会(JA共済連)
農業・地域活動支援部 地域貢献運営グループ
主幹 飯田清道
「農作業事故体験VR」プロジェクト全体のリーダー。

主任 齋藤雅美
C&R社とのVR動画プロジェクトの立ち上げから参加し、実務を広く担当。

小池美和
新卒1年目。VR制作の各種業務をサポート。

株式会社クリーク・アンド・リバー社
デジタルコンテンツグループ
XRディビジョン 根本里恵
実写/CG/動画/インタラクティブコンテンツ/スマホアプリ等、多様なジャンルでの実績があり、XRコンテンツの企画~制作~運用サポートまでディレクション全般を担当している。「農作業事故体験VR」では、動画制作でのディレクターを務め、保守運用も担う。

当事者の目線から農作業中の事故を疑似体験できる動画で、農作業リスクを「自分ごと」化

——「農作業事故体験VR」とは、どういったものなのでしょうか?

飯田:農作業中に起こりやすい事故を再現した動画です。VR技術を使い農作業をしている人の視点から再現しており、VRゴーグルを使って見ることで、没入感も高く非常にリアリティを持って事故の疑似体験ができます。農作業中の事故を減らすための体験学習として活用していて、農業や食品について幅広い研究をされている国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)さまと共同研究をしています。2019年度からコンテンツ開発を開始し、収穫時に脚立から転落する事故、農用運搬機で転倒する事故など、これまでに8本の動画を制作しました。

——C&R社では、VR動画の制作を担っているそうですね。

根本:はい。今までに制作した8本のうち、3本に当社が参加しています。制作の面では、シナリオ作成からコンテンツとして完成させるまでを担っています。

——どんな工程で作っているのでしょうか?

根本:まず、どんなテーマ、シチュエーションの動画をつくるのかお話し合いをしますね。テーマを決めたら、シナリオづくり、撮影、編集と進んでいきます。さらに、VRゴーグルなどの端末の購入、修理、3カ月に1回の定期点検などの保守・運用作業も行っています。1台1台の端末にコンテンツを入れ込む作業も当社で行います。

【VR】脚立 転落編

【VR】農用運搬機 転倒・積み降ろし作業編

——VR動画の制作は、どのような経緯からはじまったのでしょうか。

飯田:JA共済連では、農作業中の事故を減らすための取り組みを強化しています。農林水産省が毎年発表している就業者10万人当たりの死亡事故者数を見ると、農業は建設業の2倍、全産業の9倍となっています。建設業は一般的にも危険が多い現場と知られていますが、近年は少しずつ死亡事故者数が減ってきています。建設業は、大規模な企業も多く研修機会が多いことが影響していると思いますが、農業は個人や家族での経営が多く、研修機会が得られにくい就業者が多くいます。これまで農作業リスクを説明するパンフレットやポスターなどを配布してきましたが、なかなか手に取ってもらえず、死亡者数も減らない状況が続いていました。もっと「自分ごと」と捉えてもらえるように、と考えたのがVR動画です。

220台のVRゴーグルが全国で稼働、活用には保守・運用のサポートが必須

——制作したVR動画は、どのような形で活用していますか。

飯田:各JAにVR動画を入れ込んだVRゴーグルを貸し出して、農作業事故防止に向けた研修会や農業者をはじめ地域の方々が参加するイベントなどで体験ブースを出展して活用しています。現在は全国各地で220台が稼働しています。

——成果はいかがですか。

飯田:このコロナ禍においても着実に利用されており、「自分の目線で体験ができ、ためになった」、「ちょっとした不注意が事故になることを理解した」など、多くの反響をいただいています。紙での説明やホワイトボードでの講義よりもコンテンツ自体が没入しやすく、目新しさからやってみたいと思う方がたくさんいて、一度使ったJAからは「また次も」とご予約いただくことが多いですね。220台すべて稼働していて、なかなか空きがない状態です。

——VR動画制作を開始した当初は、別の企業と協業されていたと伺っています。C&R社のサポートに替わったのは、どのような課題があってのことだったのでしょうか。

齋藤:以前お願いしていた企業は、動画コンテンツ制作が中心で機器の保守までのサポートが難しかったのですが、C&R社さまでは、コンテンツ制作から機器管理などの保守運用まで一貫してサポートしてくださることが決め手でした。

——220台というとかなりの数ですから、その保守・運用を内部でやろうとすると確かに負担が大きそうですね。

飯田:以前は頻繁に電話で問い合わせを受けていましたが、今はずいぶん減りましたね。

齋藤:私たちは、北海道から沖縄まで各地域のJAにVRゴーグルを貸し出していますが、当然故障もしますし、うまく動かないという問い合わせも受けます。機械の専門知識がないので対応できないことも多く、全国に貸し出している1台1台に対応しようとすれば業務が膨れあがってしまいます。保守・運用業務だけを別会社に委託することは、効率的ではないので、1本化できる企業さまを探したのです。

——「VR動画」と聞くと、コンテンツ制作のことを真っ先に思い浮かべてしまいますが、保守・運用がカギになるのですね。

齋藤:保守・運用までを考えないと、実際の活用が難しいと思います。今はVR動画に関することは、C&R社さまが細かいところまでトータルサポートしてくださっていますので、業務全体がスムーズになりました。

——C&R社では、お仕事を受けた当初はどのようなことが課題でしたか。

根本:故障が発生した場合に、現地、当社、修理センターのやりとりで大きなタイムラグが発生するなどの課題がありました。その点は、今現在も課題ではありますが、なるべく迅速にスムーズに故障対応ができる体制が整ってきました。コンテンツをつくっても、なかなか活用しきれない企業さまも少なくないのですが、JA共済連さまは、本当にフル活用をされています。私たちとしてもやりがいが大きいです。

農作業事故の分析を通して、本当に役立つ動画を開発

——ご覧になった方からはどんな感想があるのでしょうか。

小池:アンケートでは「事故映像が流れた瞬間は自分のことのように感じるので恐怖を感じた」という意見を毎回多くいただきます。「自分のまわりでも同じような事故で亡くなった方がいるので、多くの人に知ってもらいたい」「体験ができる映像だからより理解が深まる」といったお声もあります。

飯田:農業祭りなどのイベントでは、ふだんは農作業をされていないご家族がご覧になることもあります。「夫がこんな危険なことをしているとは知らなかった。ふだんからもっと労ってあげないと」「『こういうところは危険だから気をつけて』と両親に伝えなきゃ」など、家庭内で理解が進むこともあるようです。

——先ほど、JA共済連さまは他の企業と比べても、動画の活用実績が素晴らしいというお話がありましたが、その要因はどこにあるのでしょうか。

根本:そうですね。やはり全体を通しての体制づくりがとてもうまく機能していらっしゃると思います。担当部署内で全てやろうとしても活用し切れません。JA共済連さまは、外部への委託体制を構築しつつ、担当部署内でも運用の工夫をされているところが大きいと思います。当社が提供する一斉に大人数に見せるアプリなどもご活用いただいて、いかに多くの方に届けるか、ということにも熱心でいらっしゃいます。

齋藤:C&R社さまに一括でお任せできますから、その余裕もあり、よりよいコンテンツづくりや運用方法の検討に部署内で注力できていると思います。

飯田:コンテンツの内容面から考えると、需要にマッチしたものを供給できているということがあるのではないかとも思います。

——需要と供給がマッチ、というと?

飯田:事故を減らしたいと考えているJAの方々や、農業者の皆さんが本当に役立つと思える内容のものを供給できているということです。農作業中の事故というのは、実にいろいろなバリエーションがあります。その中でどんな事故をVR動画として取り上げるのかについては、共済金請求時のデータを活用し、農作業事故の全体像を明らかにすることから始めました。冒頭で挙げた農林水産省のデータは死亡事故のみですが、死亡事故以外にも後遺障害が残る事故、傷害事故を検証し、発生件数と事故が起きた場合の重傷度を分析することで、より優先して対処すべき事故のシチュエーションを選んでコンテンツ制作を行っています。発生件数が多く、重傷度も高いシチュエーションを特に優先して制作したわけです。

360度見渡せるVR動画だからこその苦労とは?

——なるほど。データに基づいているからこそ、ご覧になる方が自分ごとと捉えられるのですね。動画そのものが本当にリアリティのあるものですが、撮影のときに苦労された点はどんなところですか。

根本:農業ならではという点では、ロケ地の選定が大変ですね。JA共済連さまから多くの方を介して紹介していただいて、様々な方からのご協力がとてもありがたいです。収穫時期の映像であれば収穫できる状態の作物がないといけないので、タイミングも限られます。屋外での撮影ですから天候にも左右され、実際、大雨で撮影できないこともありました。いつもやきもきしますね。

——撮影時のエピソードも聞かせてください。

根本:「りんごの収穫で脚立から転落してしまう」というシチュエーションでは、スタントマンが実際に転落して撮影しました。当初はCGも併用する予定でしたが、現地でスタントマンと相談し「本当に転落したほうがリアリティがあって、かつ撮影の安全も保たれる」という結論になりました。おかげでよりリアリティのあるものをつくれたと思っています。


VR動画は360度すべて映りますから、スタッフは映らないところに隠れていないといけません。スタントマンが転落した後も、本当に成功したのか、走り寄って確認できないのはドキドキしましたね。田んぼでの撮影では、特に隠れる場所に苦労しました。軽トラックの後ろに全員がぎゅうぎゅう詰めになっていたんですよ。

小池:猛暑の中で撮影した時は、私はフラフラになっていましたが、根本さんは現場でのきびきびとした采配がすばらしく、勉強になりました。

——見えないところに、いろいろな苦労があるのですね! 最後に、今後やりたいことをお一人ずつお願いします。

飯田:ハード面では機器の台数に限りがあるので、ソフトの活用も進めていきたいと考えています。たとえば動画をDVDに収録して教材とともに農業高校や農業大学校に配布するなど、いろいろな場所で活用いただける機会を創出したいですね。根本さんにも相談しているところです。

齋藤:一度研修やイベントでVR動画を使っていただいたJAでは、このコンテンツのよさを理解してくれますから、その後も貸し出しが続くのですが、未活用のところではまだまだ取り組みが認識されていないので、周知に努めたいと思っています。

小池:農業での人手不足が言われていますが、今後農業に携わる若者、兼業として農業を支えている方など、様々な方の就労上の不安が除かれるように、VR動画を多くの人に届けて裾野を広げていきたいですね。

根本:コンテンツ数は増えてきているものの、事故にはさらに多くのバリエーションがあることをうかがっていますので、バリエーションを増やしたいです。先ほども飯田さんからお話がありましたが、VRゴーグル以外のプラットフォームの充実をはじめとした、ソフト面でのお手伝いをさらに進めていければと考えています。

――今後も楽しみにしています。色々とお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

インタビュー・テキスト:アンドウチヨ/撮影:SYN.PRODUCT(Kan)