3DCGモデラーとして活躍する中村和也は喜びに満ちていた。「難しいな、大変だなって感じることはありますけど、辞めたいと思ったことは一度もないです」
CGが好きで、向上心を持っている。それが、中村が思う現場でプロとして活躍するために必要な資質だ。
「がんばれば何とかなる、そう僕は思っています。自分自身にはセンスなんてないけれど、それでもお仕事させていただけている。友人たちを見ていても感じます。努力して報われないことはない業界だと」

■ だったらつくってしまえ!

現在3DCGモデラーとして、スマートフォン向けソーシャルゲームのデフォルメキャラクターのモデリングからセットアップまでを担当しています。物心ついた頃から好きなキャラクターなどを段ボールや粘土でつくっていました。幼稚園の頃なんか、粘土でつくって、汚して、怒られての繰り返しでした。テレビや本の中の好きなものを、手で触れる何かにして手元に置きたい、だったら自分でつくっちゃえ!という感じです。だから仕事が楽しくてしようがありません。僕にとっては昔から好きだったものづくりの延長のような感じです。
実は小学生の頃から高校まで、夢は考古学者になることでした。僕は恐竜が大好きで、恐竜を展示した日本中の博物館に行きましたし、NHKのサイエンス系の特集をはじめとするテレビ番組や映画など恐竜を扱ったものはずっと見てきました。特に映画「ジュラシック・パーク」は本当に好きで、見過ぎてビデオが2回擦り切れ、3本目を買ってもらった記憶があります。それで高校も考古学科のある大学の付属高校に進みました。
高校2年生のとき、今敏監督のアニメーション映画『パプリカ』(06)のオープニングムービーを見て感動で鳥肌が立ちました。調べるとCGが使われているとわかり、CGというのは機械的な冷たくて固い画(え)しかつくれないという印象だったけど、こんなにキレイなものがつくれるのか!と。それが、CGに興味を持った一番最初のきっかけでした。
そこから、恐竜が好きで考古学の道に進もうとずっと考えてきたけれど、そんなに恐竜が好きならCGでつくっちゃえばいいじゃないかという、子供の頃に好きだったキャラクターを粘土や段ボールでつくっていたのと同じ発想に至り、CG制作を志すようになりました。それで高校2年生の夏に慌てて美術部に入りました。なぜいまさらってみんなに突っ込まれましたけど、自分でできることは何かと考え、まず絵を描く勉強から始めようと思ったんです。親にはすごく反対されました。それでも気持ちは変わりませんでした。

 

■ ライバルのお陰

高校卒業後の進路を考え、大学やいろんな専門学校のオープンキャンパスに参加し、一番手応えを感じたのが日本工学院専門学校でした。体験入学で、まったく知識も経験もない中、手取り足取り先生が教えてくれて、授業が終わったときには一応CGの形になったんです。これはすごい、ここならしっかり学べそうだと思いました。コンピューターグラフィックス科もあったんですが、勉強できる期間があるんだったらそれを全部使って実力をつけて現場に出たいと考え、4年制のクリエイティブラボラトリーに決めました。
最初の1年半でCG制作の基礎を全般的に叩き込まれました。それについては、いまでもとても感謝しています。毎日、毎授業、できることが増えていく、本当に楽しかったです。ただ、問題はそのあとでした。どれだけ自分で目標を高く持ってやれるか。そこにかかっていたと思います。僕はライバルに恵まれました。18人のクラスだったんですけど、みんな僕と同じCG未経験者でした。その中にひとりだけ、すごい努力家で完璧主義の子がいて、一番最初に提出した課題から、彼の作品だけ段違いに高いクオリティーだったんです。ビックしました。同じスタートラインだったのに、もうこんなに差がついちゃったのかって。それから僕は一方的にですが、彼をライバル視するようになりました。
彼は必ず課題の制作を納期の前に終わらせて、残った数日で自分で入手した情報をもとに新しい機能を試すんです。すごいチャレンジ精神でした。2年生が終わったときに彼は就職活動をして採用され、学校を辞めてプロになりました。いまもときどき話すんですが、もう現場でチーフをやっています。すごい人です。彼が学校を去ったあともずっと「いまプロの現場でやってるんだから、もっとスキル伸びてんだろうな。負けないようにもっとしっかりやらなきゃ」とずっと危機感を感じてました。彼の存在があったからこそ、自主的にコンペに応募したりして、スキルを磨くことに貪欲になれたんです。

 

■ 臨機応変な対応力

就職活動は映像系のCG制作会社を志望し、いくつか内定もいただいたんですが、卒業間近に先生から、クリーク・アンド・リバー社に所属し、ある人気ゲームシリーズのプロジェクトに参加しないかと誘われました。学生時代は映画やアニメ作品のCGに興味があって、ゲームは半ば義務感で勉強していたんですが、唯一ストーリーに感動し楽しめたのがそのゲームシリーズでした。あの作品を手がけたスタッフの方と一緒に仕事できたらモデラーとしてスキルアップできるだろうし、作品づくり全体を勉強させていただけるんじゃないかと思いました。それでクリーク・アンド・リバー社への入社を決めました。
初めて入ったゲームの現場は天才の集団のようなすごいところでしたが、上下関係なく考えを言い合い、僕のような新人にも意見を求めてくれ、僕が恐竜好きだとわかると、爬虫類系のクリーチャーも任せてくれました。ただ人間に近いキャラクターでは、先輩のつくるキャラクターの可愛さやカッコよさをどうしても出すことができず、随分試行錯誤しました。結局バランスなんです。目の位置が少し違っただけで、可愛くも不細工にもなる。それこそモデラーの力が発揮されるところで、自分の未熟さを痛感しました。それでも尊敬できる方々と一緒に楽しくやらせていただいた、毎日がお祭りのような日々でした。
約1年後にクリーク・アンド・リバー社の社内スタジオに戻り、今年で2年目です。いろいろなクライアントとさまざまなゲームを手がけさせていただいたお陰で、臨機応変に対応できる力が培われたと思います。人間のキャラクターであれば、どんな要望をいただいても大丈夫だって思えるようになりましたし、いちクライアント、いちブランドでは絶対に無理な、貴重な経験ができる環境にいられることをありがたく思っています。
考古学の道から3DCGに進路変更したことはまったく後悔していません。いまでは両親も僕が手がけた新しいキャラクターが登場するのを楽しみにしてくれています。人に見てもらって、良くも悪くも何かしら意見をもらえるのも、僕にはとても嬉しいことなんです。
いまはゲームの3DCGを手がけていますが、心のどこかに映像系にも挑戦したいという思いもあります。いますごくいい環境でやらせていただいているんですが、逆にそれに甘えてはダメだと気を引き締めています。本当はどの道を進みたいのかシビアに考え、10年後、20年後に、一番楽しい環境で3DCGをつくっていれる自分になっていたいと思っています。

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