人気アプリ「つみネコ」。ネコを積み上げて高さを競う単純明快さと、キャラクターのネコたちの愛らしさが評判となり、ロングランヒットを続けている。「つみネコ」の企画とキャラクターデザインを手がけた桐田香織は、ずっと絵を描きながら、自分を一番活かせる場所を探してきた。中学時代から同人誌即売会に参加し、絵で対価を得ること、そして評価されることにシビアに向き合ってきた。「ただ好きだからやるんじゃダメだ。ちゃんと評価されるためにはどうすればいいのか、ずっとそれを考えながら描いていました」。桐田の強さはそこにある。
「“できないことに使う時間よりも、できることに時間をつかったほうがいい”と、どなたかが言っていましたが、名言だと思います」将来が見えず、就職も決まらず、辛い時期もあった。それでも「好きなことを」あきらめなかった。あきらめられなかった。
「いまとても幸せだし、『つみネコ』にかかわってくれたすべてのみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです」――これまで学んださまざまな技術も、悩み、遠回りした日々も、すべて“いま”に昇華させた。自分の「好き」を大切にし、努力で才能を開花させた人である。
■ 自分に何が合っているのか、ずっと探しながら描いてきた
とにかく絵が好きでよく描いていました。マンガの模写や、ネコの落書きは物心ついた頃から描いていましたね。実家のある葛飾区は下町情緒が残っているところで、近所にノラ猫たちがいて、私はよくそのネコたちと遊んでいたんです。下町育ちだったり、ネコが身近な存在だったり、「つみネコ」の親しみやすさは、そんな自分自身がにじみ出ているのかもしれません。ずっと「自分に何が合っているのか」を探しながら描いてきたし、カッコいい絵やオシャレな絵にあこがれたときもあったんですが、私には向いてなかった(笑)。母は美術が好きで、よく美術館などに連れていってくれたんですが、敷居が高い気がして、マンガやイラストを見ていることのほうが好きでした。
中学時代は「ファイナルファンタジーVII」などのテレビゲームにハマりました。キャラクターも音楽もすごくよかったし、ゲームの世界観に入っていける感じが好きでした。制作の裏話が知りたくて、設定資料集を買ったりしましたね。当時はけっこう成績がよかったので、母はいい高校や大学に行かせたかったようなのですが、ゲームのキャラクターやマンガやイラストのことなんて、大学では教えてくれないんじゃないかって気持ちがあったんです。だから高校も、絵を描いたり、もっと表現の手法を磨きたいと、自分の時間がたくさんもてるよう学力的にも余裕をもって通える学校を選びました。
高校時代には、将来は絵の道以外に行かないと決めていました。もう勉強そっちのけで描きまくっていましたね。部活もマン研で、部長でした。同人誌即売会には中学2年生の頃から参加していたんですが、最初はまったく見向きもされなくて。それで、売れている作家さんはどんな絵を描いているんだろう、何がウケてるのか、自分のどこがダメなのかってすごく分析しました。悔しかったんだと思います。自分が好きでずっと描いてきた絵が、仲間たちと一緒につくったものが全然歯が立たない。何の価値もないのか?って。
即売会では、時代に合っているものが売れていました。だからといって、はやっているものを真似するだけというのは違う気がしたし、だけどオリジナルでやっても売れない、ニーズがあるものをやらないとって試行錯誤して、二次創作の域を出ないながらも、自分なりの表現を常に探していました。
「つみネコ2」 ©B3 UNITED Inc.
大人気アプリ「つみネコ」の続編。「世界ランキング」機能やTwitterにも対応している。みんなの「つみネコ」を目指し、つみネコたちは、あえて名前も性格づけもされていない。「どこにでもいるネコのほうが絶対に楽しいと思いました。だけどリアルじゃない。ネコのデザインは積み木のイメージで、テーブルのように四角くしています。デブネコだけはぽってりしてないと面白くないので例外ですが、崩れたら可哀想って思わせちゃったらダメなんです。プレイヤーを不快にさせるような要素はなるべく排除しています」
■ みんなと同じような絵を描いていてもダメ
高校卒業後は日本工学院専門学校総合アニメーション科(現クリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科)に進みました。美大の体験入学にも参加したんですが、やっぱり違うなって感じて。あと、高校生の頃から同人誌制作にフォトショップを使っていて、もっとパソコンを学びたいと思っていたんです。そんなときに専門学校の合同説明会に参加して、そこで日本工学院が早くからデジタルの教育に取り組んでいることを知り、進学を決めました。「総合アニメーション科」っていうのもよかったんです。絵を総合的に学べるなら、自分がハマるものが見つけられるだろうと思いました。
まだ新しい学科だったので、できたて特有の高いテンションが学科全体にありました。だけどそこでもまた衝撃を受けたんです。当時は1学年350人ぐらいだったんですが、こんなに絵を描きたい人がいて、みんな同じ業界を目指しているなら、他の人と同じことをやっていても無理じゃないかって。
その頃に、はやりのアニメやマンガじゃない、チェコやロシアのアニメにひかれていったんです。ちょうど同級生に小学校からの幼なじみがいて、彼女はいまアートアニメーションがやりたくて、チェコに勉強に行ったりしてるんですが、私に賛同してくれて、1年生の修了制作では、ふたりでモノクロのシュールなキャラクターの短編アニメーションをつくりました。通学の電車内でも、「あそこの展開はどうしよう」「参考になりそうなアニメ見つけたんだけど、今日見にこない?」とか、ずっと話していたし、つくれることと、つくれる環境があることがうれしくて、本当に楽しい毎日でした。
「つみネコ」ショートフィルム ©B3 UNITED Inc.
■ 本当に好きなら、結果を出すまでやめてはけない
卒業後は日本工学院で教育アシスタントをやりながら、ずっと絵を描き続けていたんですが、なかなか自分のやりたいことが見えてこない、この先どうなるのか、不安や焦りを感じていました。ちょうど任期の2年が終わる頃、私が勤務中に描いていた落書きを見た、講師で映像作家の原田一平さんが、キャラクターデザインをやってみないかと声をかけてくださって、CMの仕事を紹介してくれたんです。そこで、作品のために多くの人が裏で頑張っている現実を知り、私も制作現場でやってみたいとようやく心が決まりました。その後、現在所属しているビースリー・ユナイテッドに半年間キャラクターデザイナーとしてアルバイトさせていただき、その後正式に採用されました。
当初はデコメやWebサイトのデザインを担当していましたが、iPhoneの登場後は、触ったり、傾けることができるiPhoneの特徴を活かした面白いアプリを開発しようということになり、そこで生まれたのが「つみネコ」でした。独特のゆるい雰囲気と明快なゲーム性は当時めずらしく、口コミの力もあり、現在もコンスタントに売れ続けることができています。
今後はデザイナーとして「つみネコ」に新しい世界観を用意してあげることが課題です。最初はiPhoneでいかに楽しいゲームにするかということで始まった「つみネコ」でしたが、認知が広がっていくにつれ、その先のステージへつみネコたちを連れていってあげなきゃいけない。これまでの自分のスタイルからしても、その場で消費されて終わってしまうようなことはやりたくないし、はやりを追いかけるだけにもなりたくない。ロシアやチェコのアニメのように、本当にいいものってあとになっても残りますよね。みなさんの要望に少しずつ応えながら、大切につみネコたちを育てていきたいです。そして、また新たなキャラクターも手がけてみたいと思っています。
大切なのは、得意なこと、好きなことをやることです。本当に好きでやっている気持ちって現場では伝わりますし、絶対に自分を活かせます。絵を描くのが大好きでも、絵の道はあきらめた友だちもいたし、自分には無理だって遠慮しちゃう人も多いんですけど、本当に好きで「やりたい」気持があるなら続けるべきです。努力を惜しまないで、それが何かに結びつくまでやめるべきじゃない。本当にそう思います。
「つみネコ」ぬいぐるみセットは、足にマジックテープがついていて実際に積める。「グッズからアプリを知ってくれる人もいるし、グッズが発売されたことで『つみネコ』の成長を実感しています。母もとても喜んでくれて、『つみネコ』の一番のファンはお母さんだからね、なんて言ってくれています」
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