滝本祥子は、アニメーターになって2年半で独立した。
「会社に所属してしてるときに、与えられた作品が自分に合わないって思ったら、全然気持ちが入らなくて。それを我慢してやるなんて、私にはできないって思っちゃったんです」
強すぎると言われた個性。滝本はそれをマイナスでなく、武器にするために、1歩を踏み出した。そして、描いても、描いても、楽しかったというテレビアニメーション「探偵オペラ ミルキィホームズ」(2010)で、本格的に作画監督としてスタートを切る。
代表作にも、人にも恵まれ、確実にキャリアを築きつつある滝本。だが、幼少期から家庭問題で苦しみ 生きていることに意味があるのかと、毎日考えていたこともあった。「だからこそアニメに対するのめり込み度も、他人よりすごかったのかもしれないです」
滝本の作品の独特の輝きは、生きることを必死で模索し続けた根性の賜物だ。心の闇と葛藤しながら、ひたすら描き続けることで滝本が見出した光。その作品が放つ力が、今度は、どこかでだれかを笑顔にする。
■ 感情を人に伝えられるような絵を描きたい
本格的にアニメを見たり、絵を描くようになったのは中学生からです。思春期の頃って、いろいろ悩みますよね。ある人が、「アニメ業界に入っている子って、過去に心に闇を持っていた人が多い」というようなことを言っていたんですが、まさに私がそうだったんです。家庭環境が本当によくなくて、それで自分の部屋に閉じこもって、独りでずっと絵を描いていました。絵を描くことだけが唯一の楽しみだったんです。描いていたのは、オリジナルキャラクターです。とにかく女の子の顔や表情を描くのが好きでした。
中学生の頃ハマっていたのが、テレビアニメ「セイバーマリオネットJ」でした。あるとき、その作品の、ただキャラクターが笑顔でいるというなんてことないカットがすごく心に響いて、なんとも言いがたい気持ちになったんです。私もこんなふうに自分の感情を人に伝えられるような絵を描きたいと思いました。それがアニメ―ターへの目覚めのようなものです。
高校生のときは、とても仲のよかった友だちが、こういう絵を描いてってリクエストしてくる子で、その要求に応えるようにひたすら描いていました。私は、小ちゃくて、可愛い女の子をずっと描いていたんですが、友だちは真逆のタイプで、大人っぽい、美少年のようなキャラクターを要求してきました。お陰で、それまで描いたことのなかったキャラクターの表情や年齢層も描けるようになりました。こういう絵が好きで、こういうキャラが好きで、こういう髪型でって、細かくオーダーされて、それに応えて描くことで、その子が喜んでくれるのが単純にうれしかったんです。いかに相手の要望に応えるか、こう描けば喜んでくるんじゃないかとか、ものすごく考えて描いているうちに、描くことに対する気持ちもどんどん高まっていきました。あの経験が、私の個性を強めてくれたんだと思います。いまでもその友だちには、「あなたのお陰で、いまの私があるんだと思う」って言っているんです。
© bushiroad/Project MILKY HOLMES
■ 本気で自分を変えたかった
将来アニメーターになりたいという気持ちに迷いはなかったので、高校卒業後は専門学校に行こうと決めていました。日本工学院専門学校に決めたのは、環境や設備が整っていたからです。学校はすごく楽しかったです。趣味の合う人たちが思いっきり周りに増えて、勉強をしていたというより、先輩や先生たちと一緒に、毎日サークル活動をしていたような感じでした。
卒業後はハルフィルムメーカーに就職しました。ハルフィルムメーカーは、中学生のときに好きだった「セイバーマリオネットJ」を制作したスタジオで、2年生の夏休みに入ってすぐに個人的に連絡をして、面接をしてもらえることになったんです。そのときに動画試験も受けて、それで1週間後に合格の連絡をいただきました。
私には、専門学校に入って自分を変えたいという思いがありました。それまで暗かったというか、あまり人生を楽しめてなかったので。思春期の頃って、よく「死にたい」とかって言う子いますよね。私もその部類の人間だったんです。でもあるとき、「このままだと、私、本当に死ぬか、落ちるかのどっちかだ」って思ったんです。それで、日本工学院への入学を機に、本気で変わろうと思いました。明るい人になろうと努力して、だけどなにをすればいいのかわからなくて、とにかく笑顔であいさつするとか、授業中に手を上げるとか、当たり前のことを当たり前にできるようになろうと、恥ずかしくても率先してやっていました。だから、就職活動も積極的に動いたんです。
いま私は仲良くしてもらっている人たちが周りにたくさんいて、すごく恵まれているんですが、その関係性をつくるためのコミュニケーション力を学んだのが、まさに日本工学院時代でした。制作サイドは、いくら腕があっても自分が仕事したくないと思う人には仕事を依頼しないですから。気の合う人たちと仕事したいって思うのが、普通ですものね。そこがわかってない人って多いですよね。業界でやっていくには、技術力だけじゃなく、いかに人間関係をつくっていくかが、とても大切なんです。
■ 人生においてムダなことなんかなにひとつない
業界に入って最初に動画を担当したんですが、打ちのめされました。なにより他人の絵をなぞって作業するってことが苦痛だったんです。どうしてもクセが出てしまうみたいで、「これ滝本さんの絵になっちゃってるよね」って言われて(笑)。リテイクは来るし、ミスも多くて指摘されてばかりで。私は興味のあることとないことの差が激しくて、原画がやりたい一心で、動画に身が入ってなかったんです。本当は動画ってすごく大切なんですよ。それに気づいたのは、原画として自分で一から描き起こすようになってからでした。
2年目から原画の研修が始まったんですが、念願の原画でもまたつまずいてしまいました。私はキャラクターの顔を描きたいってことでずっとやってきていたので、背景ってものをまるで描いてこなかったんです。まず、背景の中にキャラクターを立たせるってところでつまずいて、最初はまたリテイクだらけでした。本当に悩みながらやっていたある日、作画監督さんに入れられた修正を見て、つかめたんです。突然逆上がりができるようになる、あの感覚です。実は、原画の仕事を始めて半年ぐらいでハルフィルムメーカーを辞めてフリーになったんです。だから、自分で稼がなきゃって危機感がすごくあって、このままではダメだ、ダメだってものすごく考えながらやっていて・・・・・・あの必死さがあったからこそつかめたんだと思います。
現在は作画監督などもやらせていただいていますが、なかでも「探偵オペラ ミルキィホームズ」は、一番思い入れの強い大好きな作品です。「ミルキィ」の作画スタッフさんは、アクションアニメーターさんも多くて、みなさん遊び心満載な作画を見せてくれました。すごく学ぶこと多かったし、そういった方々と、一緒に作品をつくらせていただけて、いますごく楽しいです。原画や作画で悩んだこともそうですが、暗い過去があったからこそ、いま楽しく生きていられるし、あれだけイヤだったことも、いまためになっていることばかりなんです。人生においてムダなことなんかなにひとつないんですね。辛かったことも、これまでの人生すべてが作品づくりにつながっているし、もしかしたら、人生そのものが自分の作品なのかもしれない。すべては自分次第、自分でつくっていくものなんですね。
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