各企業の働き方が変わったコロナ禍。働く場所の制約がなくなり、U・Iターン就職を検討するも、生活から仕事まで課題や不安を抱えている人がたくさんいます。今回は、地方でWEB制作会社を立ち上げ活躍しているお二人にお話しを伺いました!

この記事で得られる学び

  • 仕事は豊富! 目立てるので競争の激しい都内よりも仕事が取れることも
  • 地元コミュニティ、商工会、イベントに自ら入っていくことで仕事につながる
  • 満員電車と無縁、自然に癒される、時間の余裕…QOLが上がるポイントが満載

1.地方クリエイターの先輩に聞く、U・Iターン後の働き方

リモートワークが進む中、働く場所の制約がなくなり、U・Iターン就職を検討されている方が多いと聞きます。ただ、「仕事が本当に見つかるのか?」「仕事でのコミュニケーションはどのように行うのか?」など、悩みはつきないもの。 地方でWEBクリエイターとしてご活躍されている南大阪の株式会社スピッカート 細尾正行氏 、栃木県の株式会社アールイーデザイン 渡辺祐樹氏をお招きし、地方移住の経緯から働き方のコツまで、ざっくばらんにお伺いしました!

2.登壇者紹介


株式会社スピッカート/TOTAL DESIGN COMPANY株式会社
細尾 正行氏
代表取締役

1978年和歌山生まれ。印刷会社、文具メーカー、公共系Web制作会社を経て2008年5月独立。2016年5月株式会社スピッカートを設立。デザイナー、イラストレーター兼任でディレクションも行う。2020年12月にはグッドデザイン賞2020の受賞チームメンバー3名でTOTAL DESIGN COMPANY株式会社を鹿児島で立ち上げ。南大阪、鹿児島を拠点に地方中小企業のブランディングに積極的に関っています。理由はないけどシロクマ好き。
細尾 正行氏

株式会社アールイーデザイン
渡辺 祐樹氏

1982年生まれ。建築系の大学在学時からWEBのインタラクティブな表現の面白さに魅せられ独学でWEB制作をはじめる。
FOURDIGIT Inc.を経て2008年7月、故郷である栃木にてRe:designを創業。ベースはデザイナーでありつつもプロジェクトマネージメント、アートディレクション、ディレクションを主に担当。インディーズデビュー経験もある元バンドマンでベーシスト。平日はジムってサウナ、休日はゴルフするのが何よりの幸せ。
渡辺 祐樹氏

3.セッション

古民家オフィスで話題に 株式会社スピッカート

細尾正行さん率いる株式会社スピッカートは、大阪府泉南郡熊取町にある築約85年の古民家を改修したデザイン事務所。地方の中小企業・団体からのB to Bの仕事が中心で、企業や商品のブランディングデザイン、ロゴ・広報物・WEBサイト制作、WEBシステム開発などを行っています。最近は都市部からの依頼も増加中。 メンバーはディレクター3人、デザイナー4人、エンジニア3人、人事・広報1人。撮影が必要な仕事が増えたことや、地域の人とのつながりを増やしたい意図もあり、事務所から車で約10分のところに社内撮影スタジオ兼“かしこまらない写真館”「日日花(にちにちか)」をオープンしたばかり。

グッドデザイン賞受賞歴も! 株式会社アールイーデザイン

渡辺祐樹さんは、地元の栃木県那須塩原市に株式会社アールイーデザインを設立。WEB制作を中心にデジタルデザイン、グラフィックデザイン、写真撮影や映像制作、WEBコンサルティング、マーケティング、インターネット広告の運用などをしています。メンバーはディレクター4人、デザイナー2人、デベロッパー2人、デザイン&デベロッパー3人、コンサルタント1人。WEBデザインと構築部分を担当したWEBメディアSuuHaa(スーハー)が、2021年度グッドデザイン賞を受賞しました。仕事の約6~7割は栃木絡みで、地元のアウトレットのサイト、那須塩原市の国体のサイトなど。「元バンドマンとしては、アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の結成25周年特設サイトの実装に携われたのは熱かったですね」と渡辺さん。

「地方で働く」ということ

――地方で働くまでの経緯は?

細尾 山口県の大学のデザイン学部を卒業後、京都の印刷会社でアシスタントデザイナーになりましたが、毎日夜中まで勤務の労働環境がしんどくて、8カ月で退職しちゃいました。もともとイラストを描くのが好きだったこともあり、ファンシー文具メーカーのデザイン部に転職。女性が20人ぐらいのなかで男は自分だけでしたが楽しく働いていました。しかし、これからは紙でなくWEBの時代だ、みたいな時代が転換する空気を感じて、3年半勤めたのちにWEB制作会社に運よく転職。WEBはまったくの未経験でしたが、転職活動時に独学でGoLiveでAdobeをつくったり、フラッシュサイトをつくったりしてポートフォリオにしていました。そこで2年半ほど勤めて、もう1ステップ違うところに行こうかなと別の制作会社に転職しましたが、空気が合わないなと感じて退職しました。

それからどうしようか悩みましたが、一度自分ひとりでやってみてもいいかなと思い、無計画ながらフリーランスをやってみることにしました。子供が小学校にあがるのを機に、落ち着いた雰囲気のある場所を探すなかで大阪・熊取町を見つけ、一人用のワークスペースがある程度の自宅兼事務所を建てて引越しました。

それから四年くらいひとりでやっていたのですが、税理士の方と近況を話しているとき、「最近仕事が重なって断っちゃうんです」と言ったらすごく怒られたんですよ(笑)。何しとるんじゃ、断ったらあかん、それで人を雇わなどうすんねんって。労務の知識や人を雇うという発想がなく怖くて手を出せていなかったのですが、その時のアドバイスがあって人を雇うようになりました。アルバイトさんが二人に増えて事務所を借りて移転し、正社員が五人になったタイミングで法人化して、株式会社スピッカートを設立。さらにスタッフが増えて事務所が手狭になったので、現在の古民家オフィスを購入して移転しました。都市部でフリーランスをやっていたら埋もれていたかも。地方の強みを活かして会社設立まで至った気がします。

渡辺 僕は大学のときに栃木県から上京して、大学では建築学科でした。一年生くらいで既に建築の道は諦めていて、バイトやバンド活動をする学生時代を送っていました。バンド活動のなかでHPやフライヤー作成が必要になり、興味あるからやってみようというところからスタートして、WEB制作会社でアルバイトしたりもしましたね。 大学卒業後は、WEB制作の株式会社フォーデジットでデザイナーになりました。社名出しちゃって言っていいのかわからないのですが(笑)、この頃は、毎日深夜まで働いた修行時代。終電で帰るのが定時、みたいなノリでしたね。けれど、精神的にはとても楽しい時期だった。この時代の経験と人とのつながりがすべてだなと感じます。

転機はとある金曜日の飲み会でした。いつものように同僚と飲んでいて、イタい話していたんですよ(笑)。若い頃って、熱いクリエイティブ論をかましがちじゃないですか。その頃はフラッシュが全盛だったので、フラッシャーとして有名だった中村勇吾さんの新作がどうのこうのと話したりして。 そんな話から、将来のキャリアの話、最終的にどう死にたいかってテーマになって。無意識に「栃木で家族に見守られながら、やり切ったと言って死にたい!」って口から出たんです。その時に、あ、俺は栃木に帰りたかったんだって気づきました。独立志向とか、自分一人でやりたいというのは全然考えていなくて、ただシンプルに地元が好きだった。地元で転職しようと思って求人を探したらWEB系の仕事がほとんど見つからず、それならフリーランスでやってみるかと決めました。 自分ひとりで仕事するのもさみしいなと思って、金曜の飲み会の翌日、小・中・高校まで一緒で仲が良かった増子に連絡して、直接会って「一緒に会社やろう」と相談してOKをもらい、取締役になってもらうことに。そして月曜日、出社してすぐに会社に退職の旨を伝えました。こんなワガママ放題だったのに、快く送り出してくれた上長にとても感謝しています。

その後、起業の噂を聞いた高校の同級生の磯から「事業に興味あるから一緒にやりたい」と連絡があって、なんとなく縁を感じて三人で創業することに。周りからは「失敗するぞ」、「友達同士で起業なんてどうせ金でもめる」なんて言われて、止められたりもしましたよ。けれど、そんなかんじのことで揉めたことはまったくないです。無謀ですが、かっこいいなと思って三人しかいないのに事務所をつくりました。自分がデザイン、増子がディレクション、磯がコーディングの体制で六年くらい続けて。その後、徐々に仕事と人が増えていって、現在の体制になりました。

――創業したばかりの頃、大変だったことは?

渡辺 ノープラン創業だったので、最初は仕事が全然なくて。事務所を立ち上げるときに初めて融資を受けて、今月払えるかなとか、あの案件の入金がなかったら来月やばいなとか、切羽詰まった時期がありました。会社員時代には気づけなかった、一つひとつの仕事の大切さを痛感して、このゼロ→イチ期の頃の気持ちは今も大事にしていて、何かあれば三人でしっかり話すようにしています。とはいえ、地方だと固定費もとても安いので都内で同じことをするよりはやりやすいと思います。

細尾 僕も当初は本当に綱渡りで、知人が心配して仕事を引っ張ってきてくれたりしました。イラスト、WEB、チラシ制作と色々なことに手を伸ばしてなんとか食いつないでいました。

――地方でも、WEB関連の仕事の需要は多いですか?

渡辺 地方にも、すべて受けきれないくらいの仕事はあるという体感ですね。都内の場合は案件は非常にたくさんあるけれど、同時に多くの会社がそれを取り合っているので、分け前が少ないし、埋もれてしまう。都会以外にどの地域でも、困っている企業や人がたくさんいると思います。

――次の仕事につなげるために意識していることは?

細尾 地元コミュニティにしっかり入っていくことですかね。商工会に入り、役場の役が回ってきたらやり。そういうことは積極的に参加するようにしています。

渡辺 仕事の受注は紹介や仲介がメインで、横のつながりや口コミの大切さを感じています。自分も商工会に入りました! あとは、バーでひとり飲みするのが好きで、隣に座っていた人と仲良くなって仕事につながることもあります。けれども小手先のことではなくて、今ある仕事をお客様の満足いくところまで全力でやれば絶対に次につながるから、そこをきちんとすることかな。自分の満足よりも、お客さんの満足。良いものが適正な値段だったら売れますよ。

――地方の業界コミュニティはどんなかんじでしょうか?

細尾 周辺地域には、WEB関連の会社は多少あるけれど毛色が違って、同業がそもそも少ない。やっぱり同業者さんとの関りが欲しくなって、たまたま市内の制作会社の代表の方と仲良くなって、そちらは会社の規模的にもかなり先を行っている会社なので、ここぞとばかりに業界の情報を教えていただきました。それから、趣味でラジオをやったり、Twitterで発信したりしていたら、他の地方で同じように頑張っている人とつながるようにもなりました。

渡辺 僕も同業のつながりがなかったので、「栃木ウェブクリエイターズパーティー」(TWCP、Tochigi Web Creator’s Party)という不定期の飲み会イベントをつくりました。はじめは宇都宮の制作会社の方や友達の友達などを紹介してもらって、今は15回くらい続いているイベントで、集まるのは50~60人。現状は、栃木県内でWEBに関わる仕事で働きたい人がいるのに、仕事が少ないから都内に出なければいけない。栃木にもWEB制作会社はちゃんとあるよって発信していきたい。学生さんも結構来てくれて、その場で採用活動をしたりもします。また、栃木県内の企業も、制作会社がないと思ってHP制作などを都内の会社に発注してしまうのが悔しいじゃないですか。そういった需要もキャッチしていこうという意図もあります。

――地方移住して生活は変わりましたか?

渡辺 東京で働いていた頃とは全然違いますね。時間の流れがゆっくり感じて、心にゆとりが増えました。平日の夜でも趣味や家族との時間が取れるようになった。車通勤なので満員電車に乗ることもない。あと、何でも安い! お金を使うところも少ないので、財布を忘れても一日問題なく過ごせる(笑)。

細尾 僕も、満員電車のストレスから解放されたことも大きな変化。会社は自然に囲まれていて、夜は星がよく見えて、社員と「星きれいだね」って話をしながら帰っています。

コロナ禍の働き方の変化 リモートワークを導入して

――コロナ禍で、リモートワークは導入していますか?

細尾 出社とリモートワークを併用しています。人によりますが、週1~3日程度リモートワーク、あとは出社。出社はコミュニケーションが取りやすい、社内文化の醸成などのメリットがあり、リモートワークには通勤時間の短縮、制作に集中できる、家族との時間をつくれるといったメリットがありますよね。両方をバランスよく取り入れることで、会社としても強くなり、働きやすくなるのではと考えています。

渡辺 弊社も出社とリモートワークの併用です。コロナ禍になる前から、通勤に電車で往復二時間かかる社員は、既に試験的にテレワークを実践していました。出社状況は、デザイナー陣はフルリモートの人がいたり、コンサルタントはお客様との打ち合わせがあれば月1~3回程度出社したり。コロナ禍以降は実装スタートのキックオフ時や、制作案件振り返りの全体MTGなど、対面とオンライン交ぜながらきちんとコミュニケーションを取る機会を増やすようになりました。デザインのクオリティチェックなど、フィードバック時には「ちょっとだけSkypeいい?」と声をかけて、十分程度のオンラインMTGをして、意見をこまめに聞くようにしています。

――リモートワークをしてみて実際のところはどうですか?

細尾 出社したほうが集中できるっていう人もいますし、在宅のほうがはかどるという人もいます。人によるので、どっちでもいいかな。ただ、入社して日が浅い人は、会社や仕事に慣れるまではなるべく会いたいですね。

渡辺 リモートワークを導入することで、効率が上がったのを感じました。机を並べて一緒に働くコミュニケーションも大切だけれど、働く場所はもうそんなにこだわる必要はないなと思っています。コミュニケーションはこまめに慎重にすることを以前より意識しています。以前、社員に指摘されたのが、チャットの温度感。まったく絵文字を使っていないシンプルなやりとりをしていたら、冷たく感じると言われて。それから、ごめんなさいや了解の絵文字を入れるようにしました。

細尾 わかる。僕も冷たいと言われることがある。絵文字を入れるようにしよう。

――絵文字を入れすぎると最近話題の「おじさん構文」になるのでバランスが難しいですね(笑)。 リモートワークを導入すると、新しいメンバーとのコミュニケーションに困る企業も多いです。そこはどうしていますか?

渡辺 会社の大切な部分を共有したいので、新しいメンバーの場合は初めはなるべく机を並べて働いたのちにリモートワークに切り替えたいという方針です。

細尾 僕も渡辺さんと一緒で、特に新卒採用はまだまだ対面重視で、遠方の応募者さんでも引っ越しは可能かという点を重視しています。もちろん、力がついてベテランになった後ならリモートでいいと思うけれど、慣れるまでは一緒に働きたい。 けれど、一人だけ特例で新卒からフルリモートで採用した方がいます。韓国人の方で、もとは日本に来て働きたいということでしたが、コロナ禍や在留資格取得の面で来日が叶わず、約2か月くらい韓国でフルリモートで働いてもらいました。コミュニケーションの点では問題はなかったですね。今は日本で働いてくれています。お金の送金をどうするかや、韓国語キーボードMacをどうやって買えばいいのかなどの特殊な課題はありましたが、一つひとつが勉強になりました。

さいごに 地方で働きたいクリエイターへのメッセージ

――地方で働きたい人へひと言お願いします。

細尾 地方で働くことに色んな不安があると思いますが、すごく楽しいのでおすすめですし、ぜひ来てほしいです。

渡辺 もし地元に戻るなら、生まれた土地に自分が培ってきた知識や技術、思いを還元できる。故郷で仕事をするってとてもいいことです。いま選択肢のなかにあるなら、一回くらい試してみては。

まとめ

一度は都会で働きつつも、WEB制作というスキルを持って地方に移住し事業を軌道に乗せたお二人。どこであっても人とのつながりを大切にすることや、誠実に仕事をこなしていくことで道が開けることが分かりました。また、競合の少ない地方だと目立てる、固定費が安く事業を継続しやすい、そして圧倒的にリラックスできる環境が整っているという地方ならではのメリットも印象的でしたね。今後の自分のキャリアを考えるうえで、非常にためになるお話しが盛りだくさんでした。

お問い合わせ

株式会社クリーク・アンド・リバー社
セミナー担当
Email:webinar_cr@hq.cri.co.jp