新人賞に初めて応募した作品で日本工学院専門学校在学中に受賞し、2015年にデビューしたマンガ家の杉本竜一。
絵がヘタという欠点を補うためにギャグマンガを描こう思いついたと語るが、授業で書かれたプロットのギャグセンスは群を抜いていたという。
「受賞して担当の編集さんと出会ったことで、マンガに対する意識が変わってきました。お笑いを見てもマンガに活かせそうなことはメモに取ったり、日ごろの生活のアンテナの張り方が変わりました。これマンガにできるかなって、常に思っています」
■ マンガは人生の一部
父が『週刊少年ジャンプ』を毎週欠かさず買っていたので、物心つく前から『ジャンプ』に触れていました。本当に幼い頃から「ドラゴンボール」や「ONE PIECE」を読んで育ったので、僕にとってもはやマンガは、好きとか嫌いといったものではないんです。人生に当たり前にあるものといった感じです。小学生の頃にはマンガを描くようにもなりました。当時描いていたのは、飼っていた猫がキャラクターのバトルギャグマンガでした。ただ僕はマンガを描くのは好きなんですけど、絵を描くのはあまり好きではありませんでした。ストーリーを考えるのは楽しいんですが、絵はおまけ。いま見ても絵はひどく雑な仕上がりでしたが、とにかくマンガを描きたい一心でずっと描いていました。
でも小学校中学年ぐらいから硬式テニスを始めて、ひとつのことに集中したいタイプなので、そこから約10年間はマンガをまったく描かない時期が続きました。また描き始めたのは18歳のとき。高校2年生の夏休みぐらいに将来の進路を考えたときに、やっぱりマンガだ、マンガ家になりたいと思ったんです。描いてはいませんでしたが『ジャンプ』はずっと読んでいましたし、そもそもテニスを始めたのも「テニスの王子様」がきっかけでしたから、けっきょくマンガに戻ったということです。将来テニスの道に進むわけでもないし、だったらもうテニスは辞めてマンガに専念しようと思いました。
高校3年になってからは絵の勉強のために油絵の教室に通ったんですが、やっぱりどうしても絵を描くことがあまり好きになれず、自分には絵の才能はないとつくづく感じました。それでもマンガ家を諦める気はまったくなく、高校卒業後は日本工学院専門学校 クリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科(2年制)に進みました。日本工学院専門学校に決めたのは、業界では一番名の知れた学校でしたし、施設も整っているので、身を置く環境としてはいいと思ったからでした。親は心配そうにしていましたが、やれるだけやってみたらという感じで見ていてくれました。
■ ギャグマンガは手段だった
日本工学院専門学校に入学したら、当然周りはマンガが大好きな人たちばかりで、みんないろんな作品を知っているし、絵もうまいし何より絵を描くことが好きで、正直戸惑いました。僕は絵もヘタだし、そもそも絵を描くことが好きじゃない……実力の差や次元の違いを感じました。それでもマンガ家になりたいという気持ちは変わりませんでした。それでギャグマンガだったらバトルマンガより画力が必要ないだろうと考え、マンガを描く手段としてギャグマンガを思いついたんです。いまとなっては、ギャクマンガだからこそ必要な画力というのがあって、実際にヒットしているギャグマンガはみんな絵がうまい
し、それだけじゃなく迫力も必要だと気づいて、すごく苦労していますが。
授業で学んだことは多かったです。マンガを描くための基礎はすべて教わりましたし、初めてペンを握ったのも、1本の作品に仕上げたのも、日本工学院専門学校に入ってからでした。絵の勉強はなかなか進みませんでしたが、ギャグマンガを描くために、テレビのバラエティー番組やお笑いを見て、ギャグのセンスを磨く努力は続けていました。
絵がヘタでもマンガは描けるんだってことを証明したくて、それで2年生の5月にジャンプの「第5回 Gカップ」に応募しました。ギャグマンガを専門にした5ページから10ページ程度の短い作品での応募が可能な賞で、僕は7ページぐらいの「モラル」というタイトルの作品を描いて送りました。初めての応募でした。学校で描いたギャクマンガが先生たちから評判がよくて、それが自信になって応募に繋がりました。そうしたら9月の半ば頃に準グランプリを取ったと連絡をいただきました。ものすごくうれしかったです。受賞できたのは、ほかの人がやらないような作品にしようと狙って描いたことと、マンガとしてのできよりもギャグのセンスが評価されたんだと思います。マンガは描きたいけど、あんまり絵は描きたくない、でもストーリーだけ書くのではイヤという矛盾を抱えながらでしたが、マンガ家への道が開けた気がしました。
■ 自分なりの強みでヒット作を
卒業後はバイトをしながら担当の編集の方にネームを見せてはボツになりといった日々が続きました。僕はあきらめが悪いほうですし、受賞できたのはマンガの実力じゃないってことが自分でよくわかっていたので、もっと頑張らないとダメだと思いながら約1年間ネームを出し続けました。去年の6月にふと思いついて、細かい構想を練ったりせず考えつくままに1週間ぐらいで書いた「対リア充兵器 最北端翔」のネームが編集会議で通り、2015年8月に発売された『少年ジャンプNEXT!!』(2015 vol.4)でデビューすることができました。いつも行っている本屋に置いてある『ジャンプNEXT!!』の中に自分のマンガが載っているというのは不思議な感じではありました。もちろんうれしかったですけど、他の作品と比べると自分の技術の未熟さを感じました。
いまの一番の悩みは、ギャクマンガ家としての表現力、表現の幅がないことです。売れているマンガ家さんのギャグにはメリハリがあります。だから自分も画力はもちろんですが、演出にバリエーション力をつけたいと考え、そのために気に入ったギャグマンガを読んで、なぜこのマンガが好きなのかとか、ほかの好きなギャグマンガと比べてどこが違うのか、何がいいのかといったことを研究し、自分の引き出しを増やす努力をしています。
現在は次の作品のネームづくりにかかっています。デビューしてからは、ほかのマンガを見る目が変わりました。自分だったらこういうふうに描くだろうなと考え、自分なりの表現や特徴を意識し探しながらマンガを読むようになりました。将来的には普通のバトルマンガも描きたいという考えもありますが、ただまずギャグマンガ家として一度はヒット作を出したいと思っています。まだデビューしたばかりですが、多少なりともプロ意識が芽生えてきたような気がします。
「対リア充兵器 最北端翔」(『少年ジャンプNEXT!!』2015 vol.4より)
© 杉本竜一/集英社
「リア充嫌いって、ジャンプの読者層の高校生や中学生にとってアルアルだと思ったんです。それを自分が好きなバトル系にしようと思いつきました。担当の編集さんからは『キャラクターに好感が持てない』とよく言われます。ヘンでヤバイ奴をいかに好感が持てて友だちになりたいと思えるキャラにできるかがギャグマンガの難しいところだと思います」