最高にすさんでいた18歳の春、イエス・キリストの最期の7日間を描いたロック・オペラ映画「ジーザス・クライスト=スーパースター」との出会いが、吉原光夫を演劇に導いた。
劇団四季という日本のショービジネスの中心で活躍し、だからこそ感じた演劇を生業にする厳しい現実。いま新たな場所で理想とする演劇に向かって挑戦を続けている。
「金や成功のためなら、俳優なんて絶対に勧めません。でも、好きで好きでしようがないならやればいい。演劇をするというのは、ずっと人間を追求したり、自分と向き合うことなんだと思います」

 

■ この作品に出たい!

おやじが映画好きで、子供の頃からよく映画は見ていました。でも芝居は全然。だけど小学校3年生の学芸会でフック船長をやって、舞台上で歌ったらしい(笑)。目立ちたがりだったようです。小学生のときからバスケをやっていて、夢はバスケ選手になることでした。勉強はまったく。中学3年生からはグレてました。あと超恥ずかしいんですが、高校時代はラップバンドで歌ってました。高校もスポーツ推薦でしたし、バスケだけは真剣にやっていたのに、大学のバスケ推薦に落ちてしまって、生まれて初めての挫折でした。投げやりになって進路も決めずにアルバイトしていたら、おやじがブチ切れて、「専門学校だけは面倒見てやる」ってことになって。それで、演劇部ってラクそうだったなって思って、校舎もきれいで楽しいキャンパスライフが送れそうだと、日本工学院八王子専門学校演劇俳優科(現クリエイターズカレッジ声優・俳優科)に決めました。最悪の経緯です。

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でもすぐに辞めようと思いました。授業で海の生き物のエクササイズをやらされて、ワカメになったりして、これは無理だって。次の日、退学届を準備して、最後の授業のつもりで出たのが、元劇団四季の先生の授業で、「私の一番好きな作品です」って見せられたのが、「ジーザス・クライスト=スーパースター」(73)というミュージカル映画でした。ミュージカルなんてバカにしてたのに、冒頭ユダが岩の上で歌ってるシーンから、雷に打たれたみたいに響いた。それで、この作品に出るにはどうすればいいのかって先生に聞いたら、劇団四季が上演権を持っているって言われて、それで劇団四季に入ろうと思いました。
日本工学院は楽しかったです。演劇マニアとか変わった奴らとすごく仲良くなって、学校の公演にも積極的に参加していました。みんなを集めて台本(ホン)のことでディスカッションしたり、仕切りたがっていた自分を覚えています。演じたり、演劇をつくるってことが好きになっていたんだと思います。
専門学校って学費がかかるんですよ。だけど、スカウトされたわけでも、児童劇団でやってきたわけでもない素人は、そこから始めるしかないと思うんです。そのシステムを見返すぐらい、僕は自分で学べるチャンスを探しました。講師の先生の劇団公演に出させていただいたり、タップの先生のスタジオのカギの開け閉めをやるかわりにレッスンを無料で受けさせてもらったり。絶対に講師の先生に食い込んでいったほうがいいと思った。学校は自分で考えて積極的に動いていけば、払ったお金以上の価値ある場所にできるんです。

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Artist Company響人 第7回公演「橋からの眺め」
1950年代ニューヨーク・ブルックリン。イタリア系アメリカ人の波止場労働者エディは、妻と最愛の姪キャサリンと暮らしていた。美しく成長したキャサリンの幸せをひたすら願うエディだったが・・・・・・。
作:アーサー・ミラー 演出:小川絵梨子
公演:2012年10月4日(木)~10日(水) 会場:テアトルBONBON

「僕が演じるエディは、娘を異常なまでに愛し、束縛するといったイメージですが、単純にそういうふうに台本を読んじゃいけないと思うんです。大切だからこそそばに置きたい、絶対に守りたいという強い気持ち、そういった思いってだれにでもありますよね。難しいですけど、ひとつひとつ丁寧にディスカッションし、台本を頭で理解し、腹で納得させながら、稽古を進めています」

 

■ かなった夢、払った代償

オーディションに一発で受かって、卒業後は劇団四季研究所に入りました。大柄の男がほしかったんだと思います。今回「レ・ミゼラブル」のジャベール刑事役に受かったのもそうだと思うんですが、体型的に恵まれているんでしょうね。劇団四季の場合、合否は代表の浅利慶太さんの意向で決まることもあるし、運も大きいと思います。ただ、だれよりも飛ぶとか、声がいいとか、本当にうまければ目は引きますよね。
入所した年の冬にはもう公演に出ていました。それも「ジーザス・クライスト=スーパースター」に。すごい運命を感じましたね。旅公演に行くアンサンブルが足りないってことで、僕は衣装が合わなくて「ライオンキング」はパス、ダンサーではないので「コーラスライン」にも出られない、残ったのが「ジーザス」だった。「ジーザス」は見て興奮、やって興奮でした。あんなに好きな舞台はないです。
どうアプローチしたらオーディションに受かるか、役をつかむための方法、僕はそういうことを絶対に考えなかった人間です。ただそこに、その瞬間その役としていることができれば、すごく魅力的に見えると思うんです。僕は緊張しいだったこともあって、何も考えられなかった、考えなかったっていうのが大きかったんだと思います。人それぞれだと思いますが、俳優として一番大切なものは、表現者としての集中力だと僕は思っています。
「ジーザス」で初めて役をもらったあとやったのが「夢から醒めた夢」の暴走族でした。「お前、暴走族っぽいからやれ」ってことで(笑)。あの大きな劇場で、ひとつソロをもらってやったんですけど、歌も踊りも全然ダメでした。終わったなって思っていたら、次に「ジーザス」のシモン役が来て。トントン拍子に見えると思いますが、挫折だらけでした。ライオンキングを半年福岡でやって、声帯をダメにして手術もしたし、もっと楽なやり方があるのはわかっているんだけど、どれだけ疲れていてもその日のベストを出そうとしてしまう。舞台に立つ俳優のプライドみたいなものです。言葉にするとカッコいいですけど、すごく疲れました。若くしていろいろな難しい役に挑戦させてもらったんだけど、年齢的にも未熟だったし、オンオフの効かない自分がいて、私生活も相当荒れてました。

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東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」
公演:2013年4・5・6・7月帝国劇場 8・9・10月福岡、大阪、名古屋 ジャベール役 として出演

「この前イギリスに行って『レ・ミゼラブル』を見たら、ジャン・バルジャンを演じている俳優ってそんなに大きくないんですよ。バルジャンの悩みや苦しみを表現するには繊細さが必要とされたんだと思います。逆にジャベールはすごくデカイ。バルジャンを追いつめていくジャベール刑事を大きくて威圧感のある俳優がやっていると、その俳優が出てきただけで、その存在だけでお客さんたちは恐くなってくるんですよ。日本の主演は背が高くてハンサムって考え方があるのかもしれないけれど、すごくイギリス的な、RSC(Royal Shakespeare Company)的な考え方だなと思いました」

 

■ 夢を忘れて、夢を得た

2007年に劇団四季を辞めました。最後は「ジーザス」ジャポネスク版のユダ役でした。その2年前ぐらいから、金はなくても、好きなメンバーで好きな芝居をやりたいなと思っていたんです。はっきり辞めようと思ったのは、「ジョン万次郎の夢」で沖縄の小浜島に行ったときです。「ジョン万次郎の夢」ってこともあって子供たちに夢を聞いていたら、ある子供に「夢は何ですか?」って逆に聞かれたんです。だれも答えられなかった。そのとき、辞めようと思いました。その日の舞台をやるのに必死で、夢も語れなくなっていたんです。
2009年に元劇団四季のメンバーとArtist Company 響人(ひびきびと)を立ち上げました。劇団四季を退団してから演出家の小川絵梨子さんに学んでいて、元劇団四季のメンバーでどういう芝居ができるだろうって考え始めたのが、響人立ち上げのきっかけです。絵梨子さんから学んだことをベースに、ワークショップをやったり、響人UNDERGROUNDでは演出もやっています。演出家の仕事というのは、自分の価値観、考え方、感性によって舞台がつくられていくという責任を重大に受け止めて、その中でどれだけ自由に遊べるかってことだと思うんですけど、とても難しいです。演出という遠くの見果てぬ夢みたいなものをつかむために、UNDERGROUNDという枠を借りてやらせてもらっています。
いま響人第7回公演「橋からの眺め」に向けて、スタッフと俳優全員でテーブルを囲んで台本を広げ、ディスカッションしているところです。響人は、台本をバラバラに解剖し、議論しながら芝居をつくっていくんです。商業演劇をやっている人には、すごく歯がゆい時間を過ごしているように見えるかもしれませんが、徹底的に台本を理解することが、響人が目指す芝居には欠かせないことなんです。
僕の原点は劇団四季にあります。で、何があるかというと基本です。食っていくためには公演を積み重ねていかないといけない。そのために必要な基礎体力、発声に、舞台上での所作といった基礎能力です。舞台人としての僕のすべては劇団四季から始まった。ただ思うのは、もし劇団四季からギャラが払われなければ、それでも劇団四季でやりたいって人たちがどれだけいるだろう?ってことです。本当はそこまでの覚悟が必要なんじゃないかなって気がしています。だから僕は、響人の活動に関してはノーギャラでやっています。響人では食べようと思ってないし、そうするつもりもない。僕にとって響人は、純粋に演劇を追求するためだけの場所なんです。

 

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Artist Company 響人(ひびきびと)

「響人はまだ思い描いたことの10%ぐらいしかできてないと思います。公演には多くのお客さんに来ていただいて、本当にありがたくて涙が出るくらいうれしいですし、回を重ねるごとにいろいろな俳優さんにも参加してもらえるようになり、響人の存在が知られてきたって部分では60%ぐらいは行ってるのかもしれません。でも、カンパニーとしての組織力を考えたらまだまだです。Artist Companyと名乗っているからには、俳優も演出家もダンサーも、画家でもいい、いろんな人たちがいて、こういう公演をやりたいとか、今度は自分にやらせてくれとか、どんどんみんなが名乗りをあげるようになったら50%、それでクオリティの高い興行ができたら100%といえるのかもしれません」

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